NWSF剣豪ロマン カンテラ・サーガ、ピリオド3『からつかぜ』①
川崎都市狼 Toshiro Kawasaki

〈色稚児の小指痛いかからつかぜ 涙次〉


【ⅰ】

 じろさん、こと此井功二郎はずかずかテオの書齋に入つてきた。テオは丁度これから谷澤景六としての作業をしたくて、でゞこを脇に侍らせながら、安保宙輔・製作による「猫用筆記グラブ」を前脚に嵌めたところだつた。
「じろさんなんすか? これから仕事ですよ」
「おつといけねえ。にやんこ先生、文士の時間か」最近では幾ら鈍いじろさんでも、テレパスらしさを備へて、テオの話し相手として不足なき狀態にはなつてゐた。
「いや何となく猫のむくむくしたのを、俺も抱いてみたい時があつてね」じろさん頭を掻く。
「さう云ふ柄すかじろさん、自分のキャラ弁へないと」テオに嘲笑はれてなんとなくむつとしたじろさんであつたが、漫然と話せる相手がゐる、と云ふ事は、「してやつたり」なのだつた。
「テオどん、次回作は? 小説? 漫画原作?」
 テオは面倒がつてはいけない、との自戒が胸に昇つてきたから、それに従つた。
「小説ス。杵塚くんとカンテラ兄貴との出遭ひを描いた、一種の青春ものスよ」
「ほお」…さう云へばテオ=タニケイである事は、世間に周知となつてしまつたのだつけ。じろさんはぼおつとそんな記憶が胸に去來するのを、感じてゐた。
 もうカンテラ一味の天才猫・テオが書いた小説、として、タニケイの作は世の中で受け止められてゐる…世間の順應力とは、凄いものだなあ。だつて猫が小説なり何なり、ニンゲンさまの文章を綴るんだぜ? 普通、そんな事に当たり前のやうな顔出來るかあ、おい。


【ⅱ】

 杵塚は明らかに空腹だつた。にも拘らず、新しく購入(倖世様々である)したディジタルのヴィデオキャメラばつかりいぢつてゐた。まあ、古いアナログ感覺の持ち主・杵塚であつてもフィルム代金のかゝらぬディジタル製品は、なかんづく清貧に甘んじてゐると云へる杵塚には、有難かつた。
 倖世…色川倖世イロカハ・サチヨ。顔に靑痣のある、まだ二〇を越えて間もない、若い女。所謂「良家の子女」。圖らずも、金づるとして付き合ふ形となつたが、彼女との交流には何か心に響くものがあつた。彼女が詩人だからか? 分からんな、最近俺は俺の心が分からん。
 その「泰西堂」と云ふ古本屋を薦めてくれたのは、彼女だつた。何があるやら、この東京都中野區野方、は魔境の如し、であつた。ぼろアパ立ち並ぶかと思へば、小洒落たワイン・バアがあつたり、輸入服を商ふ老舗があつたり。そんな中に、特に杵塚の印象に殘る事となる、「泰西堂」も含まれてゐたのである。
 いきなり衝撃的な出遭ひがあつた。百圓均一のワゴン(杵塚は古本屋ではそこしか見ない)を漁つてゐた- 『美術手帖』の九一年一月號、バスキア特集、これが百圓はお安い!と手を伸ばしたその瞬間、「ビビつと」きた。
 何せ、「侍」がそこに、俺の「バスキア特集」に同じく手をつけてるんだぜ! 長髪のポニイ・テイルに辛子色の着物、深緑の袴、髙下駄。なかなかの男前であつたが、そんな事より、何故ナニユエ刀を腰に差してゐるのだ? 譯もへつたくれも、あるか!
「おっと失禮」。「侍」は伸ばしかけた手を引つ込めて、「バスキア」を杵塚に譲つてくれたが、「ごによごによごによ」杵塚の返禮の言葉はくゞもつた。咄嗟の事で、判断のしやうがない。
 その侍姿の男、は「泰西堂」主人らしき人物と顔見知りのやうだつた。うず髙く積まれた本たちの奥に陣取つた男と二三事語り合ふと、「侍」は懐手をして、悠然と立ち去つた。


【ⅲ】

 倖世が知つてゐた。
「あらこゝらぢや有名人よ。カンテラ一燈齋つて、春シュンちやん知らないの?」
「テレビの有名人か? 俺、観ないからなあ」だうやらワイドショウなどでは、お馴染みの人物らしい。なんでも野方に事務所を構へる、魔物退治の専門家、そのティームのリーダーと云ふ事だ。
 倖世は何故かこの四畳半に入り浸つて、自分の、何くれとなく親が用意してくれた立派なマンションの一室では、余り時を過ごさなかつた。落ち着く、と云ふ。「神田川」氣取りなのである。そして、豪華なステレオセットやらなんやら、自分の部屋から、このぼろアパの一角に移植してしまつた。テレビも液晶のを持ち込んでゐたが、とは云へ杵塚春多キネヅカ・シユンタ一人のときは、彼は全然それらを使用しないのであつた。さうして、たゞぼけつと、空想の世界に潜り込んでゐるのが、彼の好みなのだつた。
「魔物、ねえ。そんなのゐるの? 本当に」「らしいわよ。兎に角たんまり儲けてるつて噂なんだから」なんだ、カネ持ちか…。何となく(ごく輕くだが)侮蔑の念が湧いた。だがそれを表には出さないのが、杵塚の流儀だつた。
 この大東京には、色んな人間がゐる…、田舎の、杵塚の實家の邊りでは考へられぬ話だ。
 少年時代、郷里の映画館(巨大スーパーの上の階にある奴)に罷り間違つて、タルコフスキーの遺作『サクリファイス』がかゝつてからと云ふもの、その余りに美しい幻想の投影に、杵塚の映像への憧れ遥けく、然したゞ東京には流れ着いたに過ぎず、何も一旗揚げやうなんて目論見とは彼は遠かつた。
 自分はたゞ、倖世との爛れたやうな時間を通して、命數を減らしてしまひ、そんな華々しいご活躍の例の「お侍さん」とは縁もゆかりもなく、死んで行くのだ。杵塚は暗い幻想を樂しんだ。
 その時の顔- 倖世の顔に、何だかこの世ならぬ趣きがあつたのを、杵塚は見逃してゐた。



散文(批評随筆小説等) NWSF剣豪ロマン カンテラ・サーガ、ピリオド3『からつかぜ』① Copyright 川崎都市狼 Toshiro Kawasaki 2025-01-30 10:04:26
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