わたしに語りかける夢の話し
洗貝新


 一度とりとめもなく書き込んでみようと思った。散文詩と言えるものなのか独白詩と言えるものなのか、掴み所のない読み物として、もちろんあとで推敲することもなく、かといって顕かな誤字が有れば手直しもするのだが、曖昧に飛び出した可笑しな表現はそのままにしておこうと思う。 ともかくこのまま書き込んでいけば散文調子で独白詩になることは間違いないので、断っておくがこれは自身のためでもあり、読み手を意識してはいないとも言い切れないのである。 
何を考えるのでもなく構想もなく取り敢えず書いていくという。 このような意識の薄い書き物は読み手からしてみれば至極迷惑なのである。 例えばきみが昨晩にみた夢物語を、まるで麻酔でも打たれたかのように何の目的も構想もなく呟いたとして、それを他人に聞かせることができるだろうか。 天井に染みついた図形に幻惑をする。根拠も脈絡もない話しなのである。 それが譫言であろうと仮に現実の置き換えだとしても、きみの目の前で真顔になって話されたら、きみは相手を正常な認識の持ち主ではないと確信するだろうか否か。 わたしは今まさにそのようなことを書き込んでいるのだ。 
どうやら散文調子になってきているな。夜の獣たちが皮肉な笑いを浮かべていることだろう。この辺りで文章は展開へと導かれなければならないのだろう。詩にはリズムが大切で、何のメリハリもない文章ではつまらない。何しろ内容がないのだから。草稿とは草の枕である。夜はしなやかに手折れ朝には光に導かれてあたまを撫でる。よくは眠れなかった。暖かな午後の陽射しだよう。
頭上の彼方からふりそそぐ陽の光ほど暖かなやさしさをわたしは知らない。
くり返される冬の夜は冷たい。つけっぱなしのテレビを消そう。身仕度を整えて身体を動かし温めて外出しなければならない。 言葉に頼るでもなく誰に頼るでもなく。 月は語りかける。一人で暮らしていくには忍耐だけが虚妄の友となる。
※と言いながらもやはり推敲はしてしまう。これは自身のためでもあり読み手のためでもある。影を背負う夜は寡黙だ。薄明かりに照らされる草花だけがやさしい。




自由詩 わたしに語りかける夢の話し Copyright 洗貝新 2025-01-30 01:48:25
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