まっさらな直線、「凧の思想」 ──大岡 信のこの一篇
田中宏輔
大岡 信先生のもっとも印象的な思い出は、ぼくの目をまっすぐにお見つめになられたその大きなお瞳です。その先生とはじめてお目にかかったときに、つぎのような言葉のやりとりがありました。先生が、「きみが使っている言葉はやさしいけれど、書いている詩はむずかしい。」とおっしゃったので、「そうなのですか。」と、お返事したあと、お訊きしたいことを一刻もはやくお訊きしたいというはやる気持ちから、「でも、どうして、なんの縁もゆかりもないぼくのことを選んでくださったのですか。」と、すかさずお尋ねしますと、「そろそろ天才が現われるころだと思っていたのですよ。」と、ぼくの目をまっすぐにごらんになられながら、そうおっしゃったのでした。これは、ぼくが、大岡 信先生に、一九九一年の一月号の誌上で、ユリイカの新人に選んでいただいたときの年のことで、たしか、その年の二月か、三月のことであったと思います。先生はさる文学賞の選考会のあとでお寄りになられたとおっしゃっておられたのですが、新宿の駅ビルにある PETIT MONDE という喫茶店で、ぼくが先生にはじめてお会いしたときのことでした。さて、いま、大岡 信先生の作品のなかから一篇を採り上げさせていただくといたしますと、これもまた、まっすぐに見つめられるお瞳ですね。ピンと張られたまっさらな直線です。「凧の思想」を上げます。
凧の思想
地上におれを縛りつける手があるから
おれは空の階段をあがつていける
肩をゆすつて風に抵抗するたびに
おれは空の懐ろへ一段一段深く吸はれる
地上におれを縛りつける手があるから
おれは地球を吊りあげてゐる
(『故郷の水へのメッセージ』所収)
見事なレトリックであると思います。視座の一貫性には、ひと揺らぎも見られず、ここまで言葉が切り詰められているのに、凧の動きがきわめて繊細に描き出されており、それでいて、じつに悠々とした印象を受けますものね。それには、作品が旧仮名遣いで書かれてあることも、一役を担っているでしょう。それにしても、「おれ」という一人称はいいですね。まさに、地球を吊り上げるにふさわしい雄々しさがあります。そうして、第一連、第二連で、空の高みに上っていく凧の姿をありありと連想させておいて、最終連の第三連で、読み手をさらにびっくりさせる仕掛けが施されているのですね。そう申しますと、この作品、もう最初から逆転のご発想でおつくりになられておられるのですが、最終連、ほんとうにすばらしい大逆転のご発想ですね。思わず、数学者のヤコービの言葉が思い出されました。彼がインタビュアーに、あなたの成功の秘訣はなにですかと訊かれたときに答えた、ただひと言の短い言葉です、「逆にすること。」。
「凧の思想」、ぼくの大好きな詩篇です。