はじめから世界はこわれているから
ねことら

液晶テレビは打撃ダメージに弱いから、
画面の中心に弾みをつけて回し蹴りでかかとをあてたら、
放射状にひびが入ってきっと破壊される。
でも、その破壊が機能を完全に損なう可能性は高くなくて、
電源を入れたら、画面が何分割化されて、
芸人や、歌手や、キャスターや、インタビューされる通行者、
ゴールを決めたサッカー選手、人だけに限らなくて、
動物も、ビルも、テーブルも、何もかもが、
色の三原色の崩壊をばらばらと身にまといながら、
音を出したり、動いたり、光ったりするのだろう。


アキトは、怒ったら、飲みかけの発泡酒や、
ゲームのコントローラや、スマホ、リモコンとか、
なにかしらテーブルに載ってる手ごろで硬くて握りやすいものを、
私に投げたり、壁にぶつけたりする。

アキトが怒るとき、何か暗くうねる嵐のような気配が、
部屋いっぱいに充満して、その勢いがこわいから、
わたしはごめんね、ごめんね、とくりかえして、
感情や考えることを閉じていく。
アキトはやさしくて、そのあと私に触って、キスしてくれるから、
わたしがこわいのはアキトではなくて、
その暗くうねる気配なのだと思う。

一度、アキトが投げたリモコンが私をそれてテレビに当たったことがあった。
画面の隅のほうだったけれど、ぱきっという音がして、
てのひらくらいの大きさのひびが入った。
アキトはそのとき、すごく怒って、なんでわたしがよけたのか、
大声でののしって、わたしのおなかを蹴った。
わたしは苦しくてこわくて、ごめんね、ごめんね、とくりかえして、
泣きながらソファの陰にしゃがんでいた。
アキトはいつの間にか部屋から出ていってて、
わたしはぼんやりその細く折れたひびのかたちをながめていた。

ベランダから空や山並み、道行く人の景色を眺めているとき、
急に地震が起きたり、隕石が降ってきたり、
なにかとてつもない力が働いて、
この視界が暗くうねるものに壊されたりしないのか、
不安になることがある。
わたしには、テレビ画面も、目に見えるものも、
すべてが嘘っぽいつくりものにみえるから、
そこに本当に存在するのか、いつも手で触れようとする。


さっき、スロットで負けたとか、
何か些細なことでアキトがすごくいらいらしていて、
部屋をばたんとしめて出て行った。
この部屋は、いまはわたしだけの世界で、
がらんとしていて、頼りなくて、安心感があった。

テレビをつけたら、ニュースで通り魔の殺人犯がつかまった、
とキャスターが話していた。
テレビのひびは治ってなくて、むしろ画面全体にうっすら広がっていて、
映し出された殺人犯の顔も、そのキャスターの顔も、どちらもひびが入って、
虹色ににじんでいた。

わたしはゆっくりたちあがって、テレビまでの距離を確認する。
ステップで踏み込んで、腰をひねってかかとをぶつけるようにすれば、
テレビの中心に破壊がくわわって、ひびは、完全に広がるだろう。
そうして、窓の外も、空も、山並みも、道行く人も、
その中で右往左往しているアキトも含めて、
みんなひび割れのなかで、虹色ににじんで光るだろう。

わたしは安心な部屋の中で、深呼吸している。
リモコンで音量を少しずつあげていくと、
テレビは割れそうな音と色の発光体になっていく。
わたしは細く冷えた体の重さをはじめて強く感じながら、
いま、全体重をかけて、大きく右足を踏み込んだ。





自由詩 はじめから世界はこわれているから Copyright ねことら 2025-01-26 14:11:14
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