Bレビューという村の「掟」について
おまる
ネット詩の投稿数で他の追随を許さないBレビューには、当然のように生態系とも呼ぶべき秩序が生まれ、その中でいわゆるカーストが形成されている。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という名高い一節で始まるトルストイの不朽の名作『アンナ・カレーニナ』
その視点を借りるならば、ネット詩掲示板もまた、幸福/不幸の法則が複雑に入り組んだ独自の世界を形成していると言えるだろう。
この場でひとまず評価されるのは、「いい人戦略」を徹底し、人当たりの良さで支持を集める者や、純粋な才能によって圧倒的な存在感を放つ「おもしろい人」の存在だ。
こうした人々が、評価の仕組みの中で上位を独占する一方、承認の格差は克服不能なほどに広がり続けている。
さらに、共同体意識が希薄なこの種の集団では、カースト構造や承認格差の問題はより顕著だ。
こうした環境においては、絶望して投稿をやめる者、自作の反響を得たい一心で暴走する者、存在感をアピールするために誹謗中傷や陰口、告げ口を繰り返す者、、
さらには「荒らし」に特化して掲示板を混乱させる者まで現れる。
こうした間欠泉のように現れる個性的な書き手たちは、ある意味でBレビューの裏名物とも言えるかもしれない。
Bレビューは「治安が悪い」と形容されがちだが、これは決して誇張ではない。実際には、半数はまともに社会生活を営んでいるタイプの投稿者であろう。もう残りの半数はアウトロー的な性質を帯びている者ではないかと、わたしは睨んでいる。
そして、才能や能力を認められれば「ゲスト」として迎えられるが、そうでなければ「ならず者」として扱われる(例えば現代表、天才詩人2はわたしの特に反響の大きな作品には必ずネガティブなコメントを記す)
この二極化した構造こそ、Bレビューの持つ独自性、というかインチキさを際立たせている。