襟足の整い 砂の外のあたたかさの歌とともに
陽向(2躯-30~35)

噛めばまた歩き出す小鳥の、恥ずかしがり屋な叢を見た
どこにもないはずの揚げ足を取る豆
そんな中で私たちは今日も何か大きな美しさがあると信じている
しかしどこにそれがあるというのだ
ニーチェを読んでいたあの日、あなたは何を求めていた?
軽い砂漠のクラシックが、まだ何かの枕元だと思ってはいなかったか?

ホルンが好きでした、今は、風の始まりの暗闇の内です

指きり、げんまん、嘘ついたら、ハリセンボン、のーます、ややややくさ、指、切った

粉々の甘々がどこか、鬼だと思い、そそそその内側が、何か福だと思い、
服になったり、吹くになったり、複に、なったり、伏くになったり

足跡の豆は、今も、ただ豆のような慮り方を種撒いている


自由詩 襟足の整い 砂の外のあたたかさの歌とともに Copyright 陽向(2躯-30~35) 2025-01-25 21:13:36
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