旅人と村人
鏡文志

旅人:なんで君は僕と一緒にいたくないの?

村人:ううん、私考えるの苦手だから。考えさせられることが辛いの。

旅人:違うよ。君は答えがあってそれに合わせる人生を歩みたい。それに対し僕が問いを投げかけることに対し、困るから嫌なんじゃないの?

村人:そうかも知れない。だってなにが不満なのかしら? 世界はこんなに素晴らしいのに。

旅人:つまりあるべき世界があって与えられた答えがあり、その世界でぬくぬく美味しい思いをしてきたのが君なんじゃないの?

村人:そんな言い方酷いわ。私はこれまであるべき世界にいてそれに合わせられず、辛い思いをしてきたというのに。

旅人:しかしそのあるべき世界がそんなに素晴らしいと思えるのはやはり君が美味しい飴を与えられてきたからだよ。僕はそう思うんだ。そして君は、君たちはいつもそのあるべき世界に合わせられない僕や、僕のような人間を問題視する。君や君のような人間は予め与えられたものに如何に上手く合わせていくかという世界を生きている。生まれてからずっとだ。SNSの文章を見てみる。短文が受ける。他人の動画をぺたんと貼り付けてこれを皆で鑑賞しましょうという投稿を繰り返す人が如何に多いことか。しかもその自分のアイデアであり考え抜いた答えを提唱した訳でもない投稿品がまるで、謙虚な行いであるかのように捉えられている。盗作であり、著作権に触れるようなものも多い。みんな自分の頭で考えることが何故そんなに嫌なのかな?

村人:考えると疲れる。健康に良くない。偉い学者さんが言っていることに従うのが一番。考えるのは偉い学者さんの役目よ。もし考えたいなら貴方一人で勝手に考えてればいい。

旅人:考えることが疲れるのは、たった一人で考えるからだと思うんだ。三人よれば文殊の知恵というじゃないか? いつの間にか日本は個室社会でたった一人で考えなければならない社会になった。これでは考えるのが辛くなるのは仕方ない。しかしもう、諦めた。共に考えることも出来ない。手を取ることも出来ない。それが健康だけを追い求める群れでありもっと言えば福祉施設で行われていることだ。僕は共に考えることが出来なくてもせめて手を取りたい。考えてみたら、考えることと手を取り合うことでどちらが優先だろう?
思ったのは自分の頭の自由を保障してくれない人とは手を取り合うことも出来ないということ。自由でない人は人を束縛する。それが群れの中にいると自分が他人を束縛しているという自覚が持てなくなる。考えていない人が体だけをぶつけ合ったとしよう。そこに愛はない。そこで君たちはセックスに対して否定的な思いを抱くようになったのではないか? それはよく考えたら自分たちの問題だよね。お互いに考えるのが苦手な同士が秘密を打ち明け合う関係になれてもまだ、アイデアや自分の考えが自立していないために、打ち明け合う内容がないのだから。僕の体には沢山のメロデイと音符があってそれをいつも誰かとシェアしたい。君たちといると凝り固まりがいて辛くなる。僕は愛でいっぱいの世界に身を投じて、もう生きて帰れないかも知れないが、仕方ないよね。グッバイ!

旅人がそういうと、村人はもうなにも考えず、安心してすやすや眠りに入る。もう考えずに済むからどうでも良くなった。考える人間と考えたくない人間は同じ社会にいるべきではない。しかし考えたくない人間は従いたがる訳だから、何某かの考えてきた人間のアイデアに従っているだけなのだ。
村社会にいて新しきを持つ人間は旧式の考えない人々の輪にいつまでも止まるべきではない。それに気づいたら機会を見つけて脱出するべきなのだ。


散文(批評随筆小説等) 旅人と村人 Copyright 鏡文志 2025-01-24 12:43:24
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