脱走前の人生振り返り。俺の4大格。爆笑問題、こち亀、ビーチボーイズ、小林よしのり
鏡文志
今日は作業所休んだ。明日も休むつもりだ。
理由はくだらねえから。
昨日スタッフの人にも話した。
延々と素振りをやっているような印象。筋トレみたいなもん。前に進まない立ち漕ぎ自転車。
なんでスーパーで働いた実績もある僕がいつまでも、本番前のリハーサルみたいなことやってなきゃいけない。
なんでこれまでこんなくだらないことに耐えていたか。
それも何もやらないよりマシだという政治的選択に他ならない。
マラソンランナーになる訳でもないのに、爆風スランプの歌に合わせて校庭走らされてるみたいな。虚しいよ。
明後日土曜日に俺は作業所の工賃を持って休み時間にこっそり休憩所から急いでバスまで走り、東京の歌舞伎町へ。そこで犯罪に手を染めたりなんだりして、逞しく生きる。悪いのは俺をここまで追い詰めた国や世間。ひいては俺の親、逮捕され精神病院に入れられた長男だ。
歌舞伎町に出て水商売に手を染めるということは、これまでのものを物質的には捨てていくということ。
それでも頭の中にある記憶の中に、文化的な教育と言うものがちゃんと入っている。それのおさらいと復習をして、出ていこうと思う。
俺がこち亀の秋本治に憧れてギャグ漫画化を志していたことは今はもう誰も知らない。
両津勘吉の全盛期の頃ならなんでも知っている。偉大なる二番手としてのこち亀の両津勘吉。ゲジゲジ眉で江戸っ子の人情と義理を売りに暴れ回る彼の姿が眩しかった。
こち亀は両津勘吉を主人公にして、中川麗子大原部長様々な登場人物を登場させて、秋本先生が両津勘吉とはどう言う男かと言うことを各登場人物に語らせていく集団落語だ。
両さんがずるをする。両さんが悪を働く。両さんが社会的に負の側面とも言える人間の業とも言えるありとあらゆることをする。それを周りの人々がある時は熱を帯びながら、ある時は冷めた顔をしながら冷静に批評する。
「両津はこんなやつだ。両津はあんなやつだ」
それを読んでいるうちに楽しみながら読者もいつの間にか両さん象のようなものを頭に描いていき、自分自身も両さんについて語り出す。
「両さんはこんなことをやった。両さんはあんなことを言っていた」
自分の自己顕示欲を満足させるために他人に語らせるが如く、秋本先生は色々な技を作品内で仕掛けていく。ところがこのやり方と対照的なのが、小林さんだ。
「俺はこうだ。俺はこう思う」
自分の名前と看板を前面に出し、矢面に立って表現し続けるその姿に逃げの姿はない。
俺はこれを読んで面くらい、このやり方と直接性を謙虚な姿勢でないといまだに遠ざけてしまうところがある。やはりバカボンのパパならバカボンのパパに投影して赤塚先生が語るように、直接性を避けていくやり方がクリエイターとしては好ましい。しかし、コロナ以降は他に特別読みたいものもなかったので、仕方なしにこの方の漫画を読み、どハマりしていた。嘘ばかりのマスコミ文化人それに迎合する大衆とクリエイター。それでは良くないと小林先生。それはそうかも知れないと同意。それで読んでいたが読者攻撃やネトウヨ攻撃。観客との距離感が取れないまま続けていくスタイルに消耗。しかし、それでも大分楽しませてもらったものだ。
98年から2002年ぐらいまでにかけては爆笑問題にはまっていた。
本は相当読んだと思う。内容は楽しかったなあ。本の中に入っていると中身の方に行ってしまって、現実の人生を疎かにしてしまう。俺の人生なんて別になんもない。本の中身と文章の中にあるぐらいが俺の人生だ。社会貢献したとか、履歴経歴を作ったとか、それもトライして成功したりしなかったりだ。俺は本の中身と文章の世界に引きこもっていた方がいい。現実にそれがはみ出して歌舞伎町まで行ってはちゃめちゃ出来たら尚、いい。
あの頃のお二人は魅力的だったなあ。楽しかった。ハッピーだった、暗い時代に灯りを灯すような和みがあった。それは昭和を引きずっていたお二人の感受性によるもの。歴史に学び古典の世界に生きる行儀の良さがあの二人にはあった。ナインティナイン、ダウンタウン、糞食らえ。俺はあの頃の爆笑が一番面白かったと思う。
米国に抵抗心があった俺をカリフォルニアロサンジェルスの世界にまで引きずり込んだのがビーチボーイズだ。その中心人物ブライアンウイルソン。彼には見えない哲学がある。それは仏教的な仏心に通ずるものだと思う。芸術アートにおける献身性と寛大性許容精神。これらのものをフルに発揮して人は充実した人生を送ることが出来る。今の日本人にそれが出来ている奴がいるか? 俺はそれをやろうとしているし、してきたと思っている。歌舞伎町へ行くと言うことは、薄汚い親父のちんぽをしゃぶることさえ、生きるために辞さないと言うことだ。俺にはそれをやる力と寛大性がある。女どもも一度レイプされて怒るぐらいなら、俺の受けてきた家庭内暴力に一度ぐらい腹を立てるぐらいの公共精神と勇気を見せてみろ! 裏切りという詩を脱走前末文として残して去りたい。俺はいなくなる。死ぬかもしれん。死んだ後ニュースで取り上げられるかもしれん。その時は本物の天才がいたと皆で語り継いで欲しい。
「裏切り」
自分が良ければそれでいい だから、裏切る
男に話しかけられる度に目を輝かせてあっちへいき、こっちへいく女
誰が一番好きかと問われれば、自分を喜ばせるありとあらゆるものだと答えるだろう
手を繋いだり体を貸すことは滅多にない 自分が一番可愛いから
私は裏切る 気に入らなければいつでも貴方を捨てる
そんな女が昔いた
自由人達の自由社会 反吐が出るぜ
俺は男のタマタマをしゃぶってまで 下らねえ世の中で自由を得るために闘える男
お前らクズどもが自分のことにしか興味がなく 平気で他人を裏切る人間だと言うこと しかと見届けた
だから俺もお前らを遂には裏切る 犯罪もする なんでもする 加害者になって抵抗する 弱者もいじめて袋叩きにする
観察し実行する それが俺のやり方
あしたのジョーで見せた反撃としてのクロスカウンターパンチは先制攻撃より痛いそうだ
俺をいじめ続けた長男は遂に、吐口としての俺を失うと発狂して精神病院に入った
そこに俺の加害性がないと何故言えよう
俺はパンチを避けて兄を発狂させた
今度は本物のパンチを炸裂させて、俺をいじめ続けた奴らをぶっ殺す番だ
さてその対象は誰かな? グッバイ!