金に釣られて
鏡文志

どうして混乱した人たちの中にいて、次の道は開けるのだろう?
どうして私をここに閉じ込めた父母は毎日家で楽しくテレビを眺めることが、出来るのだろう?
どうして私はスーパーで二年働いた過去があるのに作業所に毎日通い続け『頑張れ』などと言われなければ、ならないのだろう?
今なんで、私はまともにものを考えられる人間ならとても耐えられない状況について、毎日平常心を保つことを義務付けられなければならないのだろう?
そのどこに論理的辻褄と正当性が、認められるというのだろう?
その狙いは金のためさ、金のために決まっている
どうしてうんこが出そうなお腹を抱え、くだらないポエムなど書いているのだろう?
どうして時間の経過とともに新しい扉が開くのを待ち続け、いざ時がくればこれまで何事もなかったかのように、すべてを捨て去ることが出来るのだろう?
どうして心の中がよく見えない人達がいて、その人達が風のように放ち忘れていく言動の数々で世界は溢れ、そのようなシステムになっているのだろう?
どうして充分な発散と解消の機会を得られぬまま若い身体と心を保ち、年寄りや病者と共に過ごすことを余儀なくされなければならないのだろう?
いつどうして、私がこれらの疑問や苦悩から逃れられることがあっただろう?
だがしかし、それらに耐え尚健全に物事を見渡せる私がいる。それは、どうしてだろう?
その答えは腰のおかげさ 腰が僕を支えている
どうして人は動き音は鳴り響き景色は変わり、そのすべてを『時』と名付けるようになったのだろう?
どうしてシャボンの泡は弾け、アイスクリームは溶けて人はやつれ、そのすべてを『仕方なし』で片付けられるようになっていくのだろう?
どうして時が止まり永遠を求め、それが叶わぬことを『妥協』として許さねばならないのだろう?
だから傷つきを繰り返し嘘や矛盾そして偽善社会のか中で誤解を免れることも出来ずに救いを求め、それが得られることもないまま発散と解消を必要とするのではないだろうか?
だけどどうしても寂しくなることがあって、時に人は考え事をしたり物思いに耽ったりするのではないだろうか?
今日も寒い 東京の中 粉雪が降っている


自由詩 金に釣られて Copyright 鏡文志 2025-01-22 19:19:40
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