de verbo ad verbum / nihil interit。 ──大 岡 信論
田中宏輔

 先生にはじめてお目にかかりましたのは、もう十年ほども前のことになりましょうか。ユリイカの新人に選んでいただいた年のことでした。場所は、新宿の駅ビルにある PETIT MONDE という喫茶店の中でした。そのとき、先生は、さる文学賞の選考会のお帰りだったのですが、お疲れになったご様子など、まったく見られませんでした。まっすぐに見つめる方、というのが、第一印象でした。「おれは、体全体、眼になったのだ。」(「Présence」第四歌)という、先生ご自身のお言葉どおり、全身を目にして見つめることができる方だと、目そのものになって見つめることができる方だと思いました。

 いま、まっすぐに見つめる、という言葉から、「思慮の健全さこそ最大の能力であり、知恵である。それはすなわち物の本性に従って理解しながら、真実を語り行うことなのだ。」(廣川洋一訳)といった、ヘラクレイトスの言葉(断片112)が思い起こされましたが、先生ご自身のお言葉にも、「辻さんをいい詩人だというのは、物事にぶつかったときに、反射的に別のことを考えるわけではなくて、ぶつかった物事にそのまま引き入れられるように見てしまう姿勢を持っているからです。」とありまして、これは、一九九四年の八月に発行された、「國文學」の「大岡信」特集号において、辻征夫さんについて、お書きになった文章の中にあるお言葉なのですが、それはまた、はじめてお会いしたときに、ぼくが先生に対して持ちました印象でもあり、いまもなお持ちつづけております印象でもあります。

 しかし、こういった視線には、むかしはよく出遭ったものだと思われました。もしかすると、先生に対して、たいへん失礼なことを書くことになるのかもしれませんが、ぼくには、子供がひとを見つめる目に、ものをじっと見つめる目に、じつによく似ているような気がしたのです。先生の「額のエスキース」という詩の中に、「女性の中に眠っている/孤独な少年はめざめるのだ」といった詩句がありますが、先生が、ひとやものをじっと見つめられるときには、先生の中にいる少年が目を覚ますのでしょう。そして、その少年が、先生の目を通して、ひとやものをじっと見つめるのだと思います。
 やがて、その少年の身体は、少年自身の目に映った、さまざまなものに生まれ変わっていきます。
 

ぼくらの腕に萌え出る新芽
ぼくらの視野の中心に
しぶきをあげて廻転する金の太陽
ぼくら 湖であり樹木であり
芝生の上の木洩れ日であり
木洩れ日のおどるおまえの髪の段丘である
ぼくら                                                     
(「春のために」)

ああ でもわたしはひとつの島
太陽が貝の森に射しこむとき
わたしは透明な環礁になる
泡だつ愛の紋章になる                                                  
(「環礁」)

 転生は、あらゆる詩人の願いでもあり、また、おそらくは、多くの人々の叶わぬ願いでもあるのでしょうが、詩人は、詩の中で、何度も生まれ変わります。


若さの森を
ぼくはいくたびくぐり抜けたことだろう                                     
 (「物語の朝と夜」)

 この夥しい転生のモチーフ。先生は、ほんとうに、さまざまなものに生まれ変わられます。しかし、先生の詩集を繙いておりますうちに、あることに思い至りました。詩人が生まれ変わっているのではなく、さまざまな事物や事象の方が詩人に生まれ変わっているのではないか、と。人間だけではなく、事物や事象といったものも、詩人となって生まれ変わるのではないか、と。そう考えますと、歴史上の人物や文学作品の登場人物だけが作者を代えて生き延びるのではなく、さまざまな事物や事象もまた場所を変え、時代を越えて生き延びることになります。もちろん、有名な人物や、世間によく知られた事物や事象ばかりではありません。詩人が心に留めた、さまざまなものが生まれ変わって、ぼくたちの前に姿を現わすのです。そして、そういったものたちが、同じ名前と姿で現われたり、名前や姿を変えて現われたりするのです。ときには、人間が感情や観念といったものに姿を変えたり、感情や観念といったものが人間の姿をとって、ぼくたちの前に現われたりもしますが。しかし、そうして、ものたちは場所を変え、時代を越えて生き延びるのです。詩人や作家、哲学者や思想家といった人々の著作物の間を、つぎつぎと渡り歩きながら、あるいは、飛び渡りながら、生き永らえていくのです。


だれにも見えない馬を
ぼくは空地に飼っている
ときどき手綱をにぎって
十二世紀の禅坊主に逢いにゆく
八百年を生きてきた
かれには肉体の跡形もない
かれはことばに変ってしまった肉体だ
やがてことばでさえなくなるはずで
それまでは仮のやどり
ことばの庇を借りているのだという
華が開き世界が起つ
とかれがいえば
かれという華が開きかれという世界が起つのだ
ことばとして ことばのなかで ことばとともに
開かれまた閉じ
浮かびまた沈み
生まれたり殺されたりしながら
かれはことばでありつづけ
ことばのなかに生きつづけて
死ぬことができない
地にことばの絶えぬかぎり
かれは岩になり車輪になり色恋になり
血になり空になり暦になり流転しつづけ
そのためにかれは
自分が世界と等量であるという苦い認識に
さいなまれつづけねばならないのだ
何が苦しいといって
ことばがわが肉体と化すほどの
業苦はない
人間がそれを業苦と感じないのは
彼らが肉体をほんとうに感じてはいないからだ

この枯れはてた高僧は
いうのである
                                                 (「ことばことば」1)

 詩人となって生まれ変わり、詩人の言葉を通して生まれ変わる、夥しい数の人物、事物、事象たち。このように、詩の中で、言葉が他の言葉となって、つぎつぎと生まれ変わるさまを眺めておりますと、詩人といったものが、ただ単に言葉が生まれ変わる場所にしか過ぎないのではないかと思わされます。そして、事実、そのとおりなのです。詩人とは、言葉が生まれ変わる場所にしか過ぎません。しかし、そのようなことが起こるのは、すぐれた詩の中でのみのことで、凡庸な詩の中では、けっして言葉は生まれ変わりません。生きている感じすらしないでしょう。プルーストが、「文体に一種の永遠性を与えるのは、暗喩のみであろうと私は考えている。」(「フローベールの「文体」について」鈴木道彦訳)と書いておりますが、これは、ある言葉が生まれ変わって新しい概念を獲得するときには、その言葉が書きつけられた作品自体が、それまでに書かれたあらゆる作品とは違ったものになる、という意味でしょう。そして、そういった作品は、プルーストも書いておりますが、読み手の「ヴィジョンを一新した」ことになるのです。読み手の感性を変えることになるのです。言葉が生まれ変わるときには、ぼくたちもまた、生まれ変わるというわけなのです。言葉はそれ自身が意味するものなのですが、同時にまた、他のすべての言葉に働きかけて、それらの意味にも影響を与えるものなのですから。一体全体、言葉が生まれ変わるとき、それが、ぼくたち読み手に影響を与えないということがあり得るでしょうか。「私たちが本当に知っているのは、思考によって再創造されることを余儀なくされたもののみ」(『失われた時を求めて』第四篇「ソドムとゴモラ」、鈴木道彦訳)と、プルーストは書いておりますが、ぼくも、それが、「魂の中にほんとうの意味で書きこまれる言葉」(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)であり、ほんとうに、そういった言葉だけが、永遠のいのちを持つものなのだと思っております。「俺はすべての存在が、幸福の宿命を待っているのを見た。」(『地獄の季節』「錯乱Ⅱ」、小林秀雄訳)といったランボーの言葉や、「彼に示すがいい、どんなに物らが幸福になり得るかを、どんなに無邪気に、そして私たちのものとなり得るかを。」(『ドゥイノの悲歌』「第九の悲歌」、高安国世訳)といったリルケの言葉を、この文脈の中に読み込むこともできましょう。ホフマンスタールの言葉にありますように、たしかに、「ぼくらの肉体を揺り動かし、ぼくらをたえまなく変身させつづける言葉の魔力のためにこそ、詩は言葉を語る。」(『詩についての対話』檜山哲彦訳)のです。
 
 ぼくはいま、詩人とは、言葉に奉仕することしかできない存在だと考えております。詩人ができることといえば、ただ言葉を吟味し、生まれ変わらせることだけだと。もちろん、それは、ほんものの詩人だけができることなのですが。しかし、それによって、詩人もまた、永遠のいのちを得ることができるのではないでしょうか。「芸術家の進歩というのは絶えず自己を犠牲にしてゆくこと、絶えず個性を滅却してゆくことである。」(『伝統と個人の才能』一、矢本貞幹訳)といった、エリオットの言葉も、それをはじめて目にしたときには、ずいぶんと驚かせられましたが、いまでは、ごく当たり前の言葉のように思っております。しかし、言葉の方からすれば、たぶん、一人の芸術家の進歩などには興味はないでしょう。おそらく、ただ自分が再創造されつづけることにしか関心はないでしょう。

 最近、ぼくは、こう考えています。ぼくが経験し、知るのではない。言葉が経験し、知るのである、と。すなわち、言葉が見、言葉が聞き、言葉が触れ、言葉が感じるのである、と。言葉が目を凝らし、耳を澄まし、喜びに打ち震え、悲しみに打ち拉がれるのである、と。なぜなら、ぼくの経験とは、言葉が経めぐったことどもの追体験にしか過ぎないと思われるからです。そして、ぼくが知るのは、言葉が知ってからのことなのだ、と。いくら早くても、せいぜい言葉が知るのと同時といったところであり、それも、かろうじてそう感じられるというだけのことであって、じっさいは、言葉が知るよりも早く知ることなど、けっしてできないのですから。言葉の方が、新しい意味をもたらしてくれる人間を獲得するのです。したがって、言葉が知っていることを言葉に教えるということほどナンセンスなことはない、ということになりましょう。そうしますと、ほんものの詩人と、そうでない詩人とを見分けるのは、造作もないことになります。言葉に貢献したことのある詩人だけが、ほんものの詩人なのですから。先生のお言葉であります、「うたげと孤心」が、いかに多くの人々の「ヴィジョンを一新した」か、述べる必要などないでしょう。「かりにも作者の名の冠せられた文学作品は、一つの美しい「言葉の変質」なのであ」ると、三島由紀夫は、『太陽と鉄』の中で書いておりますが、ヴァレリーは、さらに過激なことを書いております。「われわれは「言葉」そのものを文学的傑作中の傑作と考えることができないであろうか。」(『詩学序説』「コレージュ・ド・フランスにおける詩学の教授について」、河盛好蔵訳)、「一個の文字が文学です。」(『テスト氏』「ある友人からの手紙」、村松剛・菅野昭正・清水徹訳)、「ある「語」の歴史を考察すべきである、──ある同じひとつの語の歴史、まるで四囲の偶発事に対して「自我」が応酬するとでもいうように、同じひとつの語がいくたびもだしぬけに登場する、そうした登場の歴史を考察すべきである。」(『邪念その他』O、清水徹訳)と。
 
 プラトンの言葉に、「人がふさわしい魂を相手に得て、その中に言葉を知とともに蒔いて植えつけるとき、その言葉のもつ種子からは、また新たな言葉が別の新たな心の内に生まれて、つねにそのいのちを不死に保つことができる」(『パイドロス』藤沢令夫訳)とありますが、ふと、ぼくは、ポオやボードレールの美しい顔を、マラルメやヴァレリーの美しい顔を、脳裡に思い浮かべました。「種をまく文章があれば、収穫する文章もある。」(『反哲学的断章』丘沢静也訳)と、ヴィトゲンシュタインが書いておりますが、先生の詩によって、ぼくには、まことに実り豊かな収穫がもたらされました。




自由詩 de verbo ad verbum / nihil interit。 ──大 岡 信論 Copyright 田中宏輔 2025-01-22 16:57:56
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