人格と世界観7・自由の理念と思考①
ひだかたけし
ゲーテは、あるときこう語った―
「これら(私の著作)と私の存在そのものを理解した人は、それによって内的な自由を手に入れてくれるだろう」(官房長フォン・ミュラーとの対話)
ゲーテはこの言葉で、すべての認識行為のもつ効力のことを示唆したのだ。
周囲の対象を前にして、その対象の在りようが外から組み込まれた原則に従っている、そういう原則に支配されていると考える人は、
その限り自分の知らない力が対象に具わっており、その力が働きかけて、対象の法則を自分に強要してくる、と感じるだろう。
そういう人が事物に向き合うと、自分には自由がない、と感じてしまう。
自然の合法則性を硬直した必然だと感じて、その必然には従うしかないと思ってしまう。
自然の力が人間自身に働く精神の力にほかならないことが分かったとき、自由を自然と共有している、と思えるようになる。
自然の法則性が自分とは異質の力であると思っている限り、自分は強制されている、と感じてしまう。
自然の本性の中に深く入って生きるなら、
その本性が自分の内部にも働いている本性なのだと思え、
自分が事物の生成と本質に生産的に関与していると感じられるようになる。
そのような人間とはお前のことなのだ。
しかも、あらゆる生成力を内に担ったお前自身なのである。
人間は自分自身の行為の中で、外の力を働かせている。
このことこそがゲーテの世界観の意味で認識行為による解放の過程なのである。
けれどもゲーテは、解放行為を直接見てとることはなかった。
それができるのは、自分で認識行為に耳を澄ます人だけなのである。
ゲーテは最高の認識方式を身につけていたが、この認識方式そのものを観察したのではなかった。