三日前に二回目の脱走をした。
歌舞伎町に逃げれば、貧乏人を拾ってくれるんじゃないかと思ったんだ。ゲイバーあたりで働きたいと思った。自分はルックスに自信がある。可愛がってもらえそうな予感がした。
今回は持参した物品がわずかにしか売れず電車賃が出せないことがわかったため、諦めて交番に声をかけ、帰ることにした。逃げた経緯に関しては、その数日前にファミレスにて事業所管理者の胸の鎖骨をふざけて触り、騒がれて、強制入院を怖れ、今のうちに逃げようとした早とちりからだった。しかし、来月の診察では診察で強引に強制入院を勧められ入院している可能性もある。その際はまたネット詩ともしばしのお別れということだ。
作業所では軽く怒られ、任されていたスタンプ押し作業の続きを。
スタンプ推しのコツが分かり、結構褒められる。人間にはいいナルシズムと、悪いナルシズムがある。
いい作品やいい仕事をしている自分に酔うのは、いいナルシズム。そういう人はいい人相をしている。
俺はクロマニヨンズのヒロトや、ジョンライドンなどパンクの大御所の人相にとても惹かれる。
詩暦経歴の軽い振り返りをしたい。
詩は、数年前まで利用していた作業所で製作していた演芸CDの中で幾つか書くようになっていた。
このCDの中では歌もありコントもあり、音声として楽しめる作品をなんでも入れようというボーダレス世界が展開されていた。
元々の企画のコンセプトはタモリが昔やっていた一人遊びレコードの延長のような作品を作りたいだった。
このタモリのレコードはアルファレコードという、スネークマンショー、九十九、清水みちこなどを生んだレコード会社で、現在はレコード制作からは撤退。そこで発売された作品の原盤はソニーが管理している。
自主制作作品の内容のクオリティが上がったことと、コロナで自粛だらけの世の中になり、閉塞感のある中でなにかポジティブなことをやってみようと思い、公募誌を買って、幾つかコンテストに応募した。確かココア共和国は、初投稿で入選したんじゃないかな? それで我ながら驚いた。自分がそこまで世に認められる才能があるなんて思ってなかったんだ。
投稿を続けているうちに世の中は益々閉塞感が強くなっていき、それを受けて自分の書く内容も過激度が上がった。それでも採用してくるココア共和国。凄いと思った。新聞社やマスコミにはとうに無視され、警戒される存在になっていた私。ロッキングオンも私の掲載文を削除。ラジオ番組も全部に無視された。曰く私の主な言い分はこうだ。
「コロナウイルスをめぐる報道において、テレビラジオ新聞社カウンターカルチャー誌に至るまで正確な情報を国民に届ける誠実を欠いているのではありますまいか?」
と。それまで私を持ち上げていた人々も一斉に総スカン。それでも無視されれば無視されるほど余計にエスカレートするのがこの私。
「コロナワクチンで人が死んでいる。何故これを無視するの?」
市役所からテレビ局から電話をかけまくる。全てにおいて納得し難い返事。それで全てに幻滅して幻聴も酷くなり、嘘だらけの世界に向き合いて怒りの作品を作り続けた。相当数ココア共和国でさえスルーされたが、それは出来が良くなかったのだと謙虚に受け止める。政治的にこれが言いたいという思いが強過ぎた。
ネット詩では最初に投稿したのは荒川濁流名義での『まっぴらごめん』これだけ過激な内容がまさか受け入れられるとは思わなかった。アカウントが削除されたようでもう掲載されていないけど、批評文を書いた人もいた。我ながらもんどりうった。いつもわからないで書いている。
今もそうだが、受けるか分からないその中でドキドキを味わいながら書いていると思う。全く無視されるとまあいいやと思うのはその所為だ。わかんないものを書いているんだから無視されても、それは一つの反応だ。
「まっぴらごめん」
わたしゃあ、名もなき年金生活者。お酒も飲む。テレビも見る。ネットで陰謀論だって漁るし、暴力映画だってストレス発散のために観る。でも、自分の心の中を見ることだけは、まっぴらごめんだね。それはとっても怖いし、効率の悪いことだから。
わたしゃあ、名もない芸術家気取り。哲学書も読むし、カラオケも行く。エロ本読んで、オナニーだってする。だけど、自分の心の中を見ることだけは、まっぴらごめんだね。そう思う気持ちは、よく分かるよ。
わたしゃあ、テレビのお笑いタレント。笑わせもするし、謝罪もする。金のためだったら、なんだってやる。でも、自分の心の中を見ることだけは、まっぴらごめんだね。そう言いたい気持ちは、よく分かりますよ。
わたしゃあ、人気のロックミュージシャン。朝から晩まで歌って呑んで、デカパイ女と、セックスセックスセックス。でも、自分の心の中を覗くのだけは、まっぴらごめんだね。今夜も涙がボロホロリ。
わたしゃあ、ネトウヨ、おヤクザ政治家。今夜も弱者に罵詈雑言。傷つけ傷つき、憂さ晴らし。でも、自分の心の中を見ることだけはまっぴらごめんだね。それは負け犬の、変態のやることだと思うよ。
わたしゃあ、名うての精神科医。弱味に漬け込み、薬売り放題。貴方のお悩み相談します。でも、自分の心の中を覗くのだけは、まっぴらごめんだなぁ。貴方の心の中なら、いくらでも鑑定しますよ。
わたしゃあ、浮浪者。昔はスーパーで働いてました。ゴミ箱漁ってひもじい毎日。外でクソして、小便垂らし。でも、自分の心の中を覗くのだけは、まっぴらごめんだなぁ。だけど、それしかやることがないんだ。
わたしゃあ、弱い子いじめられっ子。お父さんお母さん、お兄ちゃん、ガッコのみんな。大人になっても福祉に行っても。みんなで僕をいじめるんだ。誰か助けて、でも誰も助けてくれない。自分の心の中を覗くのだけは、まっぴらごめんだって? 僕にはみんなの心が見えない。
僕たち立派な社会人。毎日頑張り出世して。みんなで苦労して、大きくなった。でも、自分の心の中を覗くのは、まっぴらごめんだね。それは、物好きの暇人のやることです。
僕たち弱者の味方です。弱い人たちを助けます。でも、自分の心の中を覗くのは、とっても勇気がいること。そっと気をつけて、心にメスを入れなきゃいけない。みんな金稼いで、自分が生きていくことで精一杯なんだ。
(ビーレビ掲載作品)
自分の心の中を見るのが苦手な人たちについて書いた。誰のことか? 気づいたら特定の範囲を超えた総数だと気付けるようになった。それまで僕は他人の心がよくわからなかった。多くの人は大量消費大量生産の時代にあって発散と解消の日々を送っている。その中で文芸やアートなど受け入れられる土壌を期待するのが難しい。気持ちよくしなければいけない。心地よさを与えなければいけない。この詩を読んで音の滑らかさに関心こそすれ、心地よさを感じる人はどれだけだろう? 心地よいだけじゃない。泥や粘土、はたまたうんこのようなドロドロした触れ心地がある。そういった土臭いものを私は書いていた。
マザーアースにおいて2本の足で立つためにあるベーシックとしての土をコンクリートで固められた日本においてその味の奥行きを確かめたかったのさ。
この少し後にポエムライブをやった。客は一人も来なかった。パンフレットを配ったが誰もだ。それなのに僕は全くぐれずに、録画カメラを回してくださいと直前に管理者に告げ、最後までやり通した。ポエムの朗読と演劇を織り交ぜた画期的なライブだ。前半は客が来ないことへの苛立ちを正直に伝えている。その後に入院した。正しくは、強制的に強引に入院させられたんだ。
人間降格
お犬様だったのに
お犬様だったのに
お犬様だったのに
お犬様だったのに
人間に、降格してしまいました。
人間降格
猫被りだったのに
猫被りだったのに
猫被りだったのに
人間に、降格してしまいました。
人間降格
オオカミ少年だったのに、
オオカミ少年だったのに
オオカミ少年だったのに
人間に、降格してしまいました
人間降格
キツネ女だったのに
キツネ女だったのに
キツネ女だったのに
キツネ女だったのに
人間に、降格してしまいました。
人間降格
たぬき野郎だったのに
たぬき野郎だったのに
たぬき野郎だったのに
たぬき野郎だったのに
人間に、降格してしまいました。
人間降格
(ステージ朗読作品)
居酒屋で読んで、お姉さんが笑ってくれた作品。
俺の頭の中には沢山のお姉さんがいる。沢山の兄弟さえいる。夢の中で沢山の女を抱いた。
一人もモテていない夜だって俺の心の中では沢山の友達でいっぱいだ。
モテなくていいというのは嘘で、オナニーのし過ぎで、モテた気に頭の中がなっているのが現実かも知れない。
初ライブ 静岡市UHUライブハウスにて
https://www.youtube.com/watch?v=zs5atgaQlA4
このあとも、詩歴は作るつもりだ。
しかし、今度こそ三度目の正直で脱走を成功させ、歌舞伎町へ逃げてゲイバーで働いているかも知れないし、その時はネット詩ともおさらばしていると思う。
38にもなって不安定な人生を歩み生きている。どっちへ転ぶかなんて分からない。
その軽はずみと無責任と不安定の中をパンクに歩み進むのさ。