WELCOME TO THE WASTELESS LAND。──詩法と実作
田中宏輔
「私の生涯を通じて、私というのは、空虚な場所、何も描いてない輪郭に過ぎない。しかし、そのために、この空虚な場所を填(うず)めるという義務と課題とが与えられている。」(ジンメル『日々の断想』66、清水幾太郎訳)「この間隙を、深淵を、わたしたちは視線と、触れ合いと、言葉とで埋める。」(アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』第十章、佐藤高子訳)「「存在」は広大な肯定であって、否定を峻拒し、みずから均衡を保ち、関係、部分、時間をことごとくおのれ自身の内部に吸収しつくす。」(エマソン『償い』酒本雅之訳)「彼、あらゆる精神の中で最も然りと肯定するこの精神は、一語を語るごとに矛盾している。彼の中ではあらゆる対立が一つの新しい統一に向けて結び合わされている。」(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い本を書くのか・ツァラトゥストラかく語りき・六、西尾幹二訳)。
端的にいえば、詩の作り方には二通りしかない。一つは、あらかじめ作品の構成を決め、言葉の選択と配置に細心の注意を払って作る方法である。もちろん、それらを吟味していて、構想の途中で、最初に考えた構成を変更したりすることもある。拙詩集の『The Wasteless Land.』(書肆山田、一九九九年)は、出来上がるまで二年近くかかったのだが、はじめに考えていたものとは、ずいぶん違ったものになった。エリオットの『荒地』(The Waste Land)を読むと、「ひからびた岩には水の音もない。」「ここは岩ばかりで水がない」「岩があって水がない」「岩の間に水さえあれば」「岩間に水溜りでもあったなら。」「だがやはり少しも水がない」(西脇順三郎訳)とあって、こういった言葉に、主題が表出されているような気がしたのである。「主はわが岩」(詩篇一八・二)と呼ばれており、イエスの弟子のペテロという名前は「岩」を意味する(マタイによる福音書一六・一八)言葉である。筆者には、「岩には」「水がない」というところに信仰の喪失が象徴されているように思われたのである。「一方を思考する者は、やがて他方を思考する。」(ヴァレリー『邪念その他』A、佐々木 明訳)。コリント人への第一の手紙一〇・一❘四には、「兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。また、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。」とあり、ヨハネの第一の手紙四・八には、「神は愛である。」とあり、コリント人への第一の手紙一三・八には、「愛はいつまでも絶えることがない。」とある。たしかに、人は神によって愛されているのだろう。「髪の毛までも、みな数えられている」(マタイによる福音書一〇・三〇)ぐらいなのだから。「なんらかの愛なしには、熟視ということはありえない。」(ヴェイユ『神を待ちのぞむ』田辺 保・杉山 毅訳)、「愛するということは見ること」(デュラス『エミリー・L』田中倫郎訳)、「じっと目をはなさぬことは、愛の行為にひとしい。」(ホーフマンスタール『アンドレアス(Nのヴェニスの体験──創作ノートの二)』大山定一訳)というのだから。そこで、ヴァレリーの「愛がなければ人間は存在しないだろう」(『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)という言葉をもじって、「人間のいるところ、愛はある。」とすれば、エリオットの『荒地』のパスティーシュができると考えたのである。「不毛の、荒廃した」という意味の「waste」の反意語に、「使い切れない、無尽蔵の」といった意味の「wasteless」があることから、タイトルを決め、構成と文体を西脇訳の『荒地』に依拠させて制作することにしたのである。このとき、この作品と同時並行的に考えていたものがあって、それは、ゲーテのファウストを主人公にしたもので、モチーフの繋がり具合があまり良くなかったので途中で投げ出していたのだが、これと合わせて、『荒地』のパスティーシュに用いるとどうなるか、やってみることにしたのである。出来上がりはどうであれ、語を吟味する作業によって、筆者が得たものには、計り知れないものがあった。
あるとき、テレビのニュース番組のなかで、南アフリカ共和国のことだったと思うが、黒人青年を、白人警官が警棒で殴打している様子が映し出されたのだが、それを見て、その殴打されている黒人青年の経験も、殴打している白人警官の経験も、ひとしく神の経験ではないかと思ったのである。翌日、サイトの掲示板に、この感想を書き、さらに、「神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。」と付け加えたのであるが、なぜこのようなことを思いついたのか、よくよく振り返ってみると、本文の45ページよりも長い62ページの注を付けた長篇詩の『The Wasteless Land.』において、本文の五行の詩句について、35ページにわたって考察したことが、そこではじめて汎神論というものについて触れたのであるが、また、詩集を上梓した後も、さらに、ボードレールからポオ、スピノザ、マルクス・アウレーリウス、プロティノス、プラトンにまで遡って読書したことが、筆者をして、「神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。」といった見解に至らしめたと思われるのである。「作品は作者を変える。/自分から作品を引き出す活動のひとつびとつに、作者は或る変質を受ける。」(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳)。作者にとって、この「変質」ほど、貴重な心的経験などなかろう。
神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。それゆえ、どのような人間の、どのような経験も欠けてはならないのである。ただ一人の人間の経験も欠けてはならないのである。どのような経験であっても、けっしておろそかにしてはならないのである。
ところで、先に、筆者は、詩の書き方には二通りある、と書いた。もう一つの方法とは、あらかじめ構成を決めないで、言葉が自動的に結びつくのを待つ、というものである。偶然を最大限に利用する方法であるが、筆者がよく行うのは、取っておいたメモが、一気に結びつくまで待つ、というものである。拙詩集の『みんな、きみのことが好きだった。』(開扇堂、二〇〇一年)に収められた多くの詩が、その方法で作成された。そのうちの二篇を、つぎに紹介する。
むちゃくちゃ抒情的でごじゃりますがな。
枯れ葉が、自分のいた場所を見上げていた。
木馬は、ぼくか、ぼくは、頭でないところで考えた。
切なくって、さびしくって、
わたしたちは、傷つくことでしか
深くなれないのかもしれない。
あれは、いつの日だったかしら、
岡崎の動物園で、片(かた)角(づの)の鹿を見たのは。
蹄の間を、小川が流れていた、
ずいぶんと、むかしのことなんですね。
ぼくが、まだ手を引かれて歩いていた頃に
あなたが、建仁寺の境内で
祖母に連れられた、ぼくを待っていたのは。
その日、祖母のしわんだ細い指から
やわらかく、小さかったぼくの手のひらを
あなたは、どんな思いで手にしたのでしょう。
いつの日だったかしら、
樹が、葉っぱを振り落としたのは。
ぼくは、幼稚園には行かなかった。
保育園だったから。
ひとつづきの敷石は、ところどころ縁が欠け、
そばには、白い花を落とした垣根が立ち並び、
板石の端を踏んではつまずく、ぼくの姿は
腰折れた祖母より頭ふたつ小さかったと。
落ち葉が、枯れ葉に変わるとき、
樹が、振り落とした葉っぱの行方をさがしていた。
ひとに見つめられれば、笑顔を向けたあの頃に
ぼくは笑って、あなたの顔を見上げたでしょうか。
そのとき、あなたは、どんな顔をしてみせてくれたのでしょうか。
顔が笑っているときは、顔の骨も笑っているのかしら。
言いたいこと、いっぱい。痛いこと、いっぱい。
ああ、神さま、ぼくは悪い子でした。
メエルシュトレエム。
天国には、お祖母ちゃんがいる。
いつの日か、わたしたち、ふたたび、出会うでしょう。
溜め息ひとつ分、ぼくたちは遠くなってしまった。
近い将来、宇宙を言葉で説明できるかもしれない。
でも、宇宙は言葉でできているわけじゃない。
ぼくに似た本を探しているのですか。
どうして、ここで待っているのですか。
ホヘンブエヘリア・ペタロイデスくんというのが、ぼくのあだ名だった。
母方の先祖は、寺守だと言ってたけど、よく知らない。
樹が、葉っぱの落ちる音に耳を澄ましていた。
いつの日だったかしら、
わたしがここで死んだのは。
わたしのこころは、まだ、どこかにつながれたままだ。
こわいぐらい、静かな家だった。
中庭の池には、毀れた噴水があった。
落ち葉は、自分がいつ落とされたのか忘れてしまった。
缶詰の中でなら、ぼくは思いっ切り泣ける。
樹の洞は、むかし、ぼくが捨てた祈りの声を唱えていた。
いつの日だったかしら、
少女が、栞の代わりに枯れ葉を挾んでおいたのは。
枯れ葉もまた、自分が挾まれる音に耳を澄ましていた。
わたしを読むのをやめよ!
一頭の牛に似た娘がしゃべりつづける。
山羊座のぼくは、どこまでも倫理的だった。
つくしを摘んで帰ったことがある。
ハンカチに包んで、
四日間、眠り込んでしまった。
この詩が、先に述べた、「偶然を最大限に利用する方法」でつくった最初のものである。そのせいか、まだ初期の、思い出をもとに言葉を紡いでいったころの、先に表現したいことがあって、それを言葉にしていったころの名残がある。つぎに紹介する「王国の秤。」をつくっていたころには、すでにコラージュという手法にもすっかり慣れていて、その手法で、できる限りのことを試していたのであるが、それと同時に、コラージュという手法自体を見つめて、「詩とは、何か。」とか、「言葉とは、何か。」とか、「わたしとは、何か。」とか、「自我とは、何か。」とかいったことも考えていたのである。
コラージュをしている間、しょっちゅう、こんなふうに思ったものである。「わたしが言葉を通して考えているのではなく、言葉がわたしを通して考えているのである。」と。「言葉が、わたしの体験を通して考えたり、わたしの記憶を通して思い出したり、わたしのこころを通して感じたりするのである。言葉が、わたしの目を通して見たり、わたしの耳を通して聞いたりするのである。言葉が、わたしのこころを通して愛したり、憎んだりするのである。言葉が、わたしのこころを通して喜んだり、悲しんだりするのである。言葉が、わたしのこころを通して楽しんだり、苦しんだりするのである。」と。
コラージュをしている最中、しばしば、興に乗ると、数多くのメモのなかにある数多くの言葉たちが、つぎつぎと勝手に結びついていったように思われたのだが、そんなときには、わたしというものをいっさい通さずに、言葉たち自身が考えたり、思いついたりしていたような気がしたものである。しかし、これはもちろん、わたしの錯覚に過ぎなかったのであろう。たとえ、無意識領域の方のわたしであっても、それもまた、わたしであるのだから、じっさいには、言葉たちが、無意識領域の方のわたしを通して、無意識領域の方のわたしという場所において、無意識領域の方のわたしといっしょに考えたり、思いついたりしていたのであろう。ただ、意識的な面からすると、わたしには、言葉たちが、自分たち自身で考えたり、思いついたりしていたように感じられただけなのであろう。
つまるところ、言葉が、わたしといっしょに考えたり、思い出したり、感じたりするのである。言葉が、わたしといっしょに見たり、聞いたりするのである。言葉が、わたしといっしょに愛したり、憎んだりするのである。言葉が、わたしといっしょに喜んだり、悲しんだりするのである。言葉が、わたしといっしょに楽しんだり、苦しんだりするのである。世界が、わたしとともに考え、思い出し、感じるように。世界が、わたしとともに目を見開き、耳を澄ますように。世界が、わたしとともに愛し、憎むように。世界が、わたしとともに喜び、悲しむように。世界が、わたしとともに楽しみ、苦しむように。
王國の秤。
きみの王國と、ぼくの王國を秤に載せてみようよ。
新しい王國のために、頭の上に亀をのっけて
哲学者たちが車座になって議論している。
百の議論よりも、百の戦の方が正しいと
将軍たちは、哲学者たちに訴える。
亀を頭の上にのっけてると憂鬱である。
ソクラテスに似た顔の哲学者が
頭の上の亀を降ろして立ち上がった。
この人の欠点は
この人が歩くと
うんこが歩いているようにしか見えないこと。
『おいしいお店』って
本にのってる中華料理屋さんの前で
子供が叱られてた。
ちゃんとあやまりなさいって言われて。
口をとがらせて言い訳する子供のほっぺた目がけて
ズゴッと一発、
お母さんは、げんこつをくらわせた。
情け容赦のない一撃だった。
喫茶店で隣に腰かけてた高校生ぐらいの男の子が
女性週刊誌に見入っていた。
生理用ナプキンの広告だった。
映画館で映写技師のバイトをしてるヒロくんは
気に入った映画のフィルムをコレクトしてる。
ほんとは、してはいけないことだけど
ちょっとぐらいは、みんなしてるって言ってた。
その小さなフィルムのうつくしいこと。
それで
いろんなところで上映されるたびに
映画が短くなってくってわけね。
銀行で、女性週刊誌を読んだ。
サンフランシスコの病院の話だけど
集中治療室に新しい患者が運ばれてきて
その患者がその日のうちに死ぬかどうか
看護婦たちが賭をしていたという。
「死ぬのはいつも他人」って、だれかの言葉にあったけど
ほんとに、そうなのね。
授業中に質問されて答えられなかった先生が
教室の真ん中で首をくくられて殺された。
腕や足にもロープを巻かれて。
生徒たちが思い思いにロープを引っ張ると
手や足がヒクヒク動く。
ボルヘスの詩に
複数の〈わたし〉という言葉があるけど
それって、わたしたちってことかしら。
それとも、ボルヘスだから、ボルヘスズかしら。
林っちゃんは、
毎年、年賀状を300枚以上も書くって言ってた。
ぼくは、せいぜい50枚しか書かないけど
それでもたいへんで
最後の一枚は、いつも大晦日になってしまう。
いらない平和がやってきて
どぼどぼ涙がこぼれる。
実物大の偽善である。
前に付き合ってたシンジくんが
何か詩を読ませてって言うから
『月下の一群』を渡して、いっしょに読んだ。
ギー・シャルル・クロスの「さびしさ」を読んで
これがいちばん好き
ぼくも、こんな気持ちで人と付き合ってきたの
って言うと
シンジくんが、ぼくに言った。
自分を他人としてしか生きられないんだねって。
うまいこと言うのねって思わず口にしたけど
ほんとのところ、
意味はよくわかんなかった。
扇風機の真ん中のところに鉛筆の先をあてると
たちまち黒くなる。
だれに教えてもらったってわけじゃないけど
友だちの何人かも、したことあるって言ってた。
みんな、すごく叱られたらしい。
子どものときの話を、ノブユキがしてくれた。
団地に住んでた友だちがよくしてた遊びだけど
ほら、あのエア・ダストを送るパイプかなんか
ベランダにある、あのふっといパイプね。
あれをつたって5階や6階から
つるつるつるーって、すべり下りるの。
怖いから、ぼくはしないで見てただけだけど。
団地の子は違うなって、そう思って見てた。
ノブユキの言葉は、ときどき痛かった。
ぼくはノブユキになりたいと思った。
鳥を食らわば鳥籠まで。
住めば鳥籠。
耳に鳥ができる。
人の鳥籠で相撲を取る。
気違いに鳥籠。
鳥を牛と言う。
叩けば鳥が出る。
鳥多くして、鳥籠山に登る。
高校二年のときに、家出したことがあるんだけど
電車の窓から眺めた景色が忘れられない。
真緑の
なだらかな丘の上で
男の子が、とんぼ返りをしてみせてた。
たぶん、お母さんやお姉さんだと思うけど
彼女たちの前で、何度も、とんぼ返りをしてみせてた。
遠かったから、はっきり顔は見えなかったけれど
ほこらしげな感じだけは伝わってきた。
思い出したくなかったけれど
思い出したくなかったのだけれど
ぼくは、むかし
あんな子どもになりたかった。
目をやるまでは、単なる文字の羅列にしか過ぎなかったメモの塊が、何度か眺めては放置している間に、あるとき、偶然目にしたものや耳にしたもの、あるいは、ふと思い出したことや頭に浮かんだことがきっかけとなって、つぎつぎと結びついていく。出来上がったものを見ると、結びつけられてはじめてメモとメモの間に関連があることがわかったり、関連がなくても、結びつけられていることによって、あたかも関連があるかのような印象が感じられたりする。しかも、全体を統一するある種の雰囲気が醸し出されている。出来上がった後は、どのメモも動かせない。一つでも動かすと、全体の統一感はもちろん、メモとメモの間に形成された所々の印象の効果もなくなる。「「偶然」は云はば神意である。」と、芥川龍之介は、『侏儒』に書いている。「偶然即ち神」とも。そういえば、プリニウスの『博物誌』にも、「偶然こそ、私たちの生の偉大な創造者というべき神である。」(第二十七巻・第二章、澁澤龍彦訳)という言葉があった。また、「神」といえば「愛」。「神と愛は同義語である。」(ゲーテ『牧師の手紙』小栗 浩訳)、「愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」(コロサイ人への手紙三・一四)。エンペドクレスは、『自然について』のなかで、「とらえて離さぬ「愛」」、「「愛」の力により すべては結合して一つとなり」(藤沢令夫訳)と述べている。ヴァレリーの『カイエB 一九一〇』には、「精神は偶然である。私がいいたいのは、精神という語意自体のなかに、とりわけ、偶然という語の意義が含まれている、ということなのだ。」(松村 剛訳)とあり、『詩と抽象的思考』には、「詩人は人間の裡に、思いがけない出来事、外的あるいは内的の小事件によって、目覚めます、一本の木、一つの顔、一つの《主題》、一つの感動、一語なぞによって。」(佐藤正彰訳)とある。まるで、偶然が、すべてのはじまりであるかのようである。
ところで、なぜ、メモとメモが結びついたのであろうか。放置されている間に、メモとメモの間隙を埋める新しい概念が形成されたからであろうか。ショーペンハウアーが、『意志と表象としての世界』第一巻・第九節で、ある概念が全く異なる概念に移行していく様を、図を用いて説明しているのだが、それというのも、「一つの概念の範囲のなかには、通常、若干数の他の概念の範囲と重なってくる部分がある。この後者(若干数の他の概念)の領域の一部を自分の領域上に含むことはもとよりだが、しかし自らはそれ以外になお多くの他の概念を包み込んでいるからであ」り、「概念の諸範囲がたがいに多種多様に食いこみ合っているので、どの概念から出ようと、別の概念に移行していく勝手気ままさに余地を与えている」(西尾幹二訳)からである、というのである。ヴァレリーの『邪念その他』Nには、「見ずに見ているもの、聞かずに聞いているもの、知らずに心のなかで呟いているもののなかには、視覚と聴覚と思考の無数の生命を養うのに必要なものがあるだろう。」(清水 徹訳)とあり、マイケル・マーシャル・スミスの『スペアーズ』の第一部・3には、「決断を下して人生を作り上げているのは目が覚めているときのことだと人は思いがちだが、実はそうではない。眠り込んでいるときにこそ、それは起きるのだ。」(嶋田洋一訳)とある。まさに、概念というものは、「創造者であるとともに被創造物でもある。」(ブライアン・W・オールディス『讃美歌百番』浅倉久志訳)「一つ一つのものは自分の意味を持っている。」(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)「その時々、それぞれの場所はその意味を保っている。」(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)「断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従って形を求めた。」(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳)。
精神には夥しい数の概念がある。精神とは、概念と概念が結びつく場所であり、概念と概念を結びつけるのが自我であるという、ヴァレリーの数多くの考察に基づく、非常にシンプルなモデルを考える。あるいは、逆に、概念と概念が結びつくことによって、自我が形成されると考えてもよいのだが、これは、いわゆる、「原因と結果の同時生起」(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・九、菊盛英夫訳)といったものかもしれない。「どちらが原因でどちらが結果なのか」(アラン・ライトマン『アインシュタインの夢』一九〇五年五月三日、浅倉久志訳)、ただ、後者のモデルだと、自我というものは、概念と概念が結びつく瞬間瞬間に、そのつど形成されるものであることになり、結びつかないときには、自我というものが存在しなくなるのだが、それは、極端な場合で、シンプルなモデルを考えると、そういった場合も想定されるのであるが、前節で引用した文章にあるように、意識のない状態でも、概念と概念が結びつくことがあるとすれば、自我が消失してしまうというようなことはないはずである。もちろん、自我がない状態というのもあってよいのであるが、また、じっさいに、そのような状態があるのかもしれないが、しかし、それは、わたしにはわからないことである。ところで、また、自我によって強く結びつけられた概念だけが意識の表面に現われるものとすれば、想起でさえ、何かをきっかけにして現われるものであるのだから、その何かと、すでに精神のなかにあった概念を、自我が結びつけて、想起される概念を形成したと考えればよいのである。その何かというのは、感覚器官からもたらされた情報であったかもしれないし、その情報が、精神のなかに保存されていた概念と結びついたものであったかもしれないが、少なくとも想起された概念を形成する何ものかであったかとは思われる。キルケゴールの『不安の概念』第二章にある、「人の目が大口を開いている深淵をのぞき込むようなことがあると、彼は目まいをおぼえる。ところでその原因はどこにあるかといえば、それは彼の目にあるともいえるし、深淵にあるともいえる。」(田淵義三郎訳)といった言葉に即して考えると、放置されている間に、メモとメモの間隙を埋める新しい概念が形成されて、それがメモにある言葉を自我に結びつかせたのかもしれないし、たまたま、メモにあった言葉が自我に作用し、自我がメモにある言葉を結びつかせるほど活発に働いたのかもしれない。ヴァレリーの『刻々』に、「善は或る見方にとってしか悪の反対ではなく、──別の見方は二つを繋ぎ合わせる。」(佐藤正彰訳)という言葉がある。たしかに、「繋ぎ合わせる」のは自我であるが、かといって、「別の見方」ができるのは、精神のなかに「別の見方」を可能ならしめる概念があってこそのことかもしれない、とも思われるのである。どちらが原因となっているのか、それはわからない。メモにある言葉や、そのメモを眺めているときの状況に刺激されて、自我が活発に働いて、メモにある言葉と言葉を結びつけていったとも考えられるし、放置されている間に、精神のなかに、メモとメモの間隙を埋める新しい概念が形成されて、それらが自我に作用して、メモにある言葉と言葉を結びつけていったのかもしれない。後者の場合は、たしかめようがないのである。じっさいのところは、こうである。突然、あるメモにある言葉が目に飛び込んできて、ほかのメモにある言葉と勝手に結びついたのである。そして、そういった状態が連続して起こったのである。メモとメモが結びついている間、自我がすこぶる活発に働いていたのは、たしかなことであった。そう、わたしは実感したのである。モンテーニュの『エセー』の第Ⅲ巻・第9章に、「わたしの考えはおたがいに続きあっている。しかし、ときどきは、遠くあいだを置いて続くこともある。」(荒木昭太郎訳)とある。「ぼくたちはいつまでも空間(あいだ)をおいて見つめ合わなくてはならないのだろうか?」(トム・ガン『へだたり』中川 敏訳)。デカルトの『方法序説』の第2部に、「一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる」(谷川多佳子訳)とある。「空間がさまざまな顔に満たされるのだ。」(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』48、澤崎順之助訳)。
ところで、ボードレールは、「人は想像力豊かであればあるほど、その想像力の冒険に付き随って行って、それが貪婪に追求する多くの困難を乗り越えるに足るだけの技術を備えている必要がある。」(『一八五九年のサロン』1、高階秀爾訳)と述べている。結局のところ、「一人の人間が所有する言語表象の数がその人間が更に新しいものをみつけるのに持ちうる機会の回数にたいへん影響をもつ」(ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』山田九朗訳)はずで、ニーチェは、『ツァラトゥストラ』の第二部に、「断片であり、謎であり、残酷な偶然であるところのものを、『一つのもの』に凝集し、総合すること、これがわたしの努力と創作の一切なのだ。」(手塚富雄訳)と書いており、ホフマンスタールは、「出会いにあってはすべてが可能であり、すべてが動いており、すべてが輪郭をなくして溶けあう」(『道との出会い』檜山哲彦訳)と書いている。
「なぜ人間には心があり、物事を考えるのだろう?」(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)「心は心的表象像なしには、決して思惟しない。」(アリストテレス『こころとは何か』第三巻・第七章、桑子敏雄訳)。
「詩人の才能よ、おまえは不断の遭遇の才能なのだ」(ジイド『地の糧』第四の書・一、岡部正孝訳)。「あらゆる好ましいものとあらゆる嫌なものとを、次々に体験し」(ヴァレリー『我がファウスト』第一幕・第一場、佐藤正彰訳)、「一つひとつ及びすべてを、一つの心的経験に変化させなければならない」(ワイルド『獄中記』田部重治訳)のだ。