歯医者
栗栖真理亜
平日十時頃の大通り商店街は人通りもまばらで
柔らかに陽に温められた風が頬を撫でる
どこからか蕎麦つゆの香りが鼻を掠めた
自転車を漕ぎながら私はその余韻を楽しみ
踏切信号が青で遮断棒がまだ下がらないままなのを
確認しながら線路の上を横切る
陰気なほど青白いコンクリート造りの建物
これが目的地の歯科医院が併設された診療所だ
私は入り口近くの自転車置き場に自転車を停めると入り口に入り
一階のミーティングルームに背を向け階段を三階まで一気に駆け上がる
歯医者は独特の薬品の香りだ
かすかにキーンと悲鳴のような機械音が聞こえる
最近やけににこやかな笑顔で応対する受付の女性に受診カードを手渡し
角がボロボロに破けた緑のソファ席に座った
何気なしに携帯を触っているとやがて名前を呼ばれる
呼んだのは社会に出たばかりのまだ若い二十代の女性で
黒い髪を引っ詰めてポニーテールのように一つにまとめ
建物以上にヒョロリと青白い顔をして白い作業着姿で突っ立っている
弱々しい笑顔で出迎える彼女に導かれて診察台に上がり
涎掛けのような物をかけられてからグレゴール入りの水でうがいをする
「お変わりはありませんか?」
ヒョロ長い顔の医師が愛想笑いを浮かべながら尋ねる
「あ、はい」
私は答えて同じように愛想笑いした
「今日は左下前歯を削っていきますね」
そう言うとキュイーンという音をさせながら器械が口の中に入ってゆく
心地よい重低音が歯を刺激して気持ち良い
いつのまにかウトウトと眠り込んでしまいそうだ
ググッ
そんな重くなった瞼が思わず開いてしまったのは沁みるような痛みだった
「痛かったですか?」
慮る態度で医師が聞いてくるのがなんだか気の毒になって
「い、いえ、大丈夫です」
咄嗟に返事をした
痩せ我慢したもののやはり痛みは変わらず
「沁みるように痛いです」
正直に答える
「すみませんねぇ」
本当にすまなさそうに頭をかきながら
医師は先が細く曲がった機器でガリガリ歯を引っ掻いた
ウトウトしている暇もなく
私は少し体をこわばらせながら治療を受けていた
帰りの商店街は活気とまでは行かないがまばらに人や車が通っている
どこからか揚げたような匂いが漂って鼻をくすぐりながら流れてゆく
少し痛む歯を気にしながら自転車を走らせ腹の好き具合を考えながら
ちょっとしたオアシスを求める思いで少し先にある青い日差しの喫茶店へと
磨いたばかりの歯をポリフェノールでふたたび汚しに足を向けた