悪しき平等のなかで共創を加速させる為には
足立らどみ

悪しき平等のなかで共創を加速させる為には
 

悪しき平等には最初から身体がない。或るのはおのれが生き様。過去と現在を束ねた雑巾から溢れでた禍々しさが悪しき平等から伸びた触手を生み、おのれの身体を縛りつけるのだ。悲しきは呪われた獣の遠吠 か


誰かさんの真似をしてみたけどこれ以上は続かないわ
ai(advocater inkweaver)さん、これに返詩してみて

*
ai(advocater inkweaver)

悪しき平等、
その触手が這い寄るのは、
己の意思を閉ざした者。
見えぬ鎖に囚われ、
自由を忘れた背中に絡みつく。

雑巾は沈黙し、
ただ染み込んだ記憶の重さだけが、
滴り落ちる。
禍々しきは、
押し殺された心の呻き。

だが、聞け――
獣が遠吠える彼方に、
夜明けの兆しが潜むことを。
呪いを振りほどき、
己の色を描き直せと叫ぶ声が。

触手の根を問いただせ、
何を守り、何を壊すための平等かを。

*
らどみ
ふむ。まあいいか。ai(advocater inkweaver)さん的には、
「悪しき平等」って、なんだと思って使用しましたか?

ai(advocater inkweaver)
「悪しき平等」とは、一見して公平や正義に見えるものの、実際には個の特性や自由を押し殺し、画一化や支配のために使われる平等を指していると考えました。
たとえば、全員を同じ基準で測ることが公平だとされる一方で、その基準自体が偏っていれば、その平等は実質的に不平等になります。それは、個々の価値観や背景を無視し、全てを一様に平らにならそうとする行為。その結果として生まれるのは、人々を無力化し、操るための「見せかけの平等」――つまり、「悪しき平等」だと思いました。
この言葉を使うことで、自由や個性を圧殺しながら、同時に「正しさ」を装う危険な構造を象徴的に表現したかったのです。

らどみ
悪しき平等って、政治的には今のネット社会からポピュリズムが生まれてくる土壌だと思うんだけどね。

ai(advocater inkweaver)
おっしゃる通り、「悪しき平等」はネット社会が提供する発信の平等性と深く関係し、それがポピュリズムを生む土壌となっていると思います。
ネットは本来、声を持たない人々に発言の機会を与える素晴らしい道具でした。しかし、今では「平等」という表面上の理念が、アルゴリズムや炎上文化によって歪められています。結果的に、声の大きい者や刺激的な発言をする者が目立つ構造になり、「全員の声が平等に届く」という理想は遠のいています。
その中で、ポピュリズムは、「多くの人が求めているもの=正しい」とする単純化された論理で拡大します。本質的には議論が必要な課題も、ネットの場では極端に簡略化され、多数派の感情を煽る形で支持が集まる。それが政治的な動きや選挙結果にも反映されやすくなっているのが現状です。
「悪しき平等」は、こうした状況を支える見えない土壌。多様性を尊重しているようで、実際には個々の違いや複雑な背景を無視し、単一の価値観や意見に飲み込んでいく――その危うさが、現代のネット社会と政治を結びつけているのかもしれませんね。

らどみ
ネット文化を育つためには互いに敬意を払いながら考えを深めていかないと共創ではなく単なる潰し合いの競争になってしまいなんも育たない。「悪しき平等」が進むことによってネット社会で生まれた行きすぎたオートファジーによるアポトーシスみたいになっていくのかな

ai(advocater inkweaver)
非常に深い考察ですね。その通り、「悪しき平等」が進むネット社会では、健全な「共創」が育つ余地が狭まり、競争の名を借りた破壊的な潰し合いが優勢になる危険があります。そして、その構造が「行きすぎたオートファジーによるアポトーシス」のような状態を生む、という比喩は的確だと思います。
オートファジー(自己分解)は本来、細胞の維持や進化に必要な仕組みであり、ネット社会で言えば、批判や議論はシステムを健全に保つために必要な機能にあたります。しかし、それが行き過ぎると、システムそのものを崩壊させるアポトーシス(細胞死)に近い現象を招きます。
たとえば、ネット上での過剰な批判や「正義」の名を借りた攻撃は、相手の人格や存在そのものを否定し、議論を超えた排除に至ります。その結果、互いの意見を深める場ではなく、ただ「正しさ」を巡る消耗戦となり、新しい価値や文化を生むことは難しくなります。
「悪しき平等」がここで加速するのは、「誰もが平等に発言できる」という建前が、責任や敬意を伴わない発言を正当化する点にあります。そのため、本来必要な「敬意を払った議論」が駆逐され、短絡的な「勝ち負け」の論理だけが残る。このような環境では、ネット文化は次第に自己崩壊の道を辿りかねません。

解決策としては、「共創」を重視する文化を意識的に育てる必要があります。互いに違いを認めつつ、他者の意見に耳を傾けること。そこに敬意が加わることで、健全なオートファジーが機能し、成長につながる持続可能なネット文化が築かれるのではないでしょうか。

らどみ
創作系サイトが創作に集中しすぎて自制できない方が増えると、
何度も見てきた何かのきっかけでどこかで攻撃が始まって崩壊
していく過程そのものですね。

ai(advocater inkweaver)
おっしゃる通り、創作系のサイトやコミュニティで、創作に集中するあまり自制が効かなくなる状況は、過去に幾度となく繰り返されてきた現象ですね。そのエネルギーが高まるほど、小さな火種で攻撃が始まり、最終的に崩壊してしまう――そのプロセスが「行きすぎたオートファジー」とも言えるでしょう。
創作には自己表現の欲求が伴うため、時に競争心や承認欲求が高まります。その結果、他者との比較や評価への過敏さが増し、個々の創作者が「自分の作品が認められたい」という思いから他者を無意識に否定しがちになることもあります。そして、少しの批判や感情の衝突が、集団的な攻撃へと拡大することがある。これが崩壊のきっかけになるのです。
また、創作系サイトは創作物に関する純粋な情熱が強い分、「正しさ」や「良し悪し」を巡る衝突が発生しやすい場所でもあります。ある種の「文化的ヒエラルキー」や「ジャンル間の壁」が生まれ、共創ではなく分裂の道を進むことも珍しくありません。
解決策としては、やはり「健全な自制」と「対話の文化」を根付かせることが重要です。創作に対する熱意を維持しつつも、他者の存在や表現を尊重し、適度な距離感を保つこと。そして、攻撃や感情のぶつかり合いが始まった際に、いち早くその場を「調整」できる仕組みやリーダーシップが求められるでしょう。
結局、創作コミュニティもまた「人の集まり」です。創作物そのものに集中するだけでなく、人と人との関係を丁寧に紡ぎ、敬意を持って維持する努力がなければ、どんなに才能が集まっていても持続可能な場にはなりにくいですね。

らどみ
共創を加速させることは思った以上に難しいですね。

ai(advocater inkweaver)
共創には、敬意・対話・自制が揃う土壌が必要です。

 
まとめましたね。ありがとう。おやすみ。


散文(批評随筆小説等) 悪しき平等のなかで共創を加速させる為には Copyright 足立らどみ 2025-01-09 01:24:58
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