見えない未来を信じて
岡部淳太郎

 去年の十月十五日に自室で倒れた。夜中から朝までずっと起き上がろうとしたが身体が動かず、なんとか這いずり回ってトイレに行こうとするも出来ず、そのまま自室で大小漏らしてしまうという失態をやらかした。とにかく意識ははっきりしているものの動けないので、そのまま一睡も出来ず、朝になってようやく救急車を呼ぶことにした。そうして、家からもっとも近い総合病院に入院したのだが、そこで告げられたのは右の脳に出血が起こっいていて、動けなかったのはそれが原因による左手足麻痺が起こっているためだということが判明した。
 そうして入院したのだが、左手足が動かないために歩けず、それをどうにかするためのリハビリが始まった。
 ところが、そうして入院した病院にいられる時間は魏られており、ほんの二週間ほどしか入院出来なかった、そこで、その病院と協力関係にあるリハビリを中心に行っている病院に転院するということになった。十一月一日からそこに移って、現在もずっと入院している(発病から一八〇日は入院出来るらしい。つまりは約半年だ)。左手足の麻痺があるだけで他は大したことはなく、身体はいたって元気である。病院内でコロナ感染騒動などがあった時も、僕はそうした感染症とは無縁の日々を送っていて、現在も毎日のリハビリを頑張っている。それが、とりあえずの現状である。
 これより前の二〇二二年にもうっ血性心不全で二週間ばかり入院しており、その時のことは「木切れ」という散文に書いた。その後、カテーテルでの治療を受けるために、二〇二二年から翌二〇二三年にかけて短い入院を三度に渡って行っている。今回が五回目の入院ということになるが(若い頃に酒の失敗による急性アルコール中毒で一晩だけ入院したことがあるので、それも含めると六度目ということになるが)、これほど長い入院生活を送るのは初めてのことだ。
 正直、僕はここに至るまでの人生で大して良いことがなかった。この年になるまで独身であるし、当然子供もいない。社会不適合の性格のためか、世の中でそう大した仕事をしてきたわけでもない。要するに社会的には落伍者であったと言っていい。僕は大したことも出来ず、ただ詩を書くことで日々を過ごしてきたのだ。このような病気になってあらためて自らの人生を振り返るた、なんと無様な人生であることかと、我ながら呆れ返る他ない。このような僕であるから、当然のことながら、病気が判明した時は絶望した。五十七歳のいまに至るまで良いこともなく漫然と過ごして時間を無駄にしてきたことへの報いとも思えた。大袈裟に言うならば、地獄に叩き落とされたような気分であった。これまで大して良いこともなかった自分に、神はなんて仕打ちをしてくれたんだとも思えた。
 しかしながら、一方で僕は最初に入院した病院で僕を担当してくれたとある女性職員に恋をしてしまった。彼女の笑顔だけが、地獄の中の救いであった。ある種の助平心とも言えたが、そうした気持ちが生きる希望になってくれた。現在の病院に移ってからは会えなくなってしまったのだが、まだ気持ちは消えていない。それどころか、彼女の存在が希望になることで、逆に気持ちは固まりつつある。いまはとりあえずまた歩けるようになることを目指して、退院した暁には再び彼女に会いに行くことを目標に毎日のリハビリを頑張っているところだ(彼女に気持ちなど伝えてはいないが、彼女の方でもこちらの気持ちに気づいているのか、病院を移る前の日に「歩けるようになって退院したら会いに来てくださいよ」と言ってもらえている)。男として大した魅力のない自分であるから、付き合うなどということは想定していない。とにかく歩けるようになれば御の字であり、その上で彼女に会いに行くことが出来ればそれで良い。
 今年は二〇二五年である。世の中は相変わらず騒がしい。新しい総理大臣は前任者と同じく人々を幸福にする気はさらさらなさそうだし、社会では闇バイトなどというものが横行している。海外の戦争はまだ終わる気配が見えない。また、ご存知の方もいるだろうが、今年の七月にどうこうという物騒かつ人騒がせな「予言」が流布している。そうした不安定な世相の中で、僕の人生はこれまで述べて来たような迷いの中にある。いまはまだ歩けないゆえに明日とか未来というものを見ることが出来ない僕であるが、とにもかくにも生きる意志だけは持ち合わせている。世の中がどんなに不安定だろうと、人心を惑わす「予言」に人々の心がどんなに不安になろうと、僕はこの地獄の淵から蘇って生きるのだ。
 先日、昔日本のプロ野球チームにかつて所属していたウォーレン・クロマティ氏がギランバレー症候群という病気で歩けなくなり、僕と同じように日々リハビリをして歩けるようになることを信じて奮闘するYouTube動画を見た。病気の違いこそあれ、現状歩けないことと、再び歩けるようになることを信じてリハビリをしている点では、僕と同じである。現役選手の頃は明るいパフォーマンスでファンやチームを盛り上げていたクロマティ氏が病気と戦っている姿には胸を打たれるものがあった。僕もまた、同じように戦っている。負けるわけにはいかない。勇気をもらったように思う。
 いまはまだ未来が見えないものの、自らを信じて、また見えない未来を信じて、僕はこうして生きている。みんなも物騒な「予言」や不安定な世相に惑わされることなく、「いま」を生きてほしい。絶望することはない。「いま」を生きていれば、未来はそれぞれの手の中に自然に転がりこんでくるはずだ。とりあえず生きろ。問題はその後だ。

(約二週間後に五八歳の誕生日を迎える日の午後に、病院にて)



(2025年1月7日~8日)


散文(批評随筆小説等) 見えない未来を信じて Copyright 岡部淳太郎 2025-01-08 16:48:13
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