冬の静けさ
山人
昔の事というのはひどくキラキラしていて、内臓や脳味噌が泡立つような気持ちになっていた気がする。
年末から年始にかけてはスキー場に急ぐスキーヤーたちが雪煙を上げながら、山村の県道を疾走していたものだった。
今は超早朝に大きな除雪車が轟音を上げ、雪を押しのけ、ロータリーが雪を吹き上げる。いっときの喧騒が終わると何事もなかったかのように時間は静止し、不規則に落ちてくる雪だけがそこにある。
私たちは無人駅のホームの傍の階段や通路をスノーダンプなる器具に雪をさらいこみ、線路をまたいて川に捨てる作業を延々と続ける。ところどころに散らばった雪を今一度スノーダンプ器具で一所に集めては、サクリと雪塊をさらい、こぼさぬよう静かに歩いては川近くまで行って捨てる。サクリ、テクテク、ポイ。顔は人面魚のようになってくるし、脳みそは次第に乾いてきてㇲがいっているような感覚に陥る。口は開かない。口を開けて言葉を発すると積み木が崩れるようにすべて崩壊してしまう。とつとつと続く我慢大会の試合が沈黙を支配する。雪の重さに耐えかねて無呼吸で雪を押し上げて、ウッとうめき声を発すれば、そのあとの息遣いは雪のにおいと同化する。
ところで、私たちは魚だ。目は丸く、泳ぐしかない。ところかまわず泳ぐ、動く、移動する、そして寡黙であって言葉は発しない。脳から声帯への道筋は遥かに遠くなってしまっていた。
静けさという巨大な怪物が箱庭の中で働く私たちを眺めている。その中で時折、顔面がひび割れた私たちは小魚のように震えながら忘れかけた笑みを浮かべるのだった。