スイッチを切れ、稼働音は邪魔にしかならない時だってあるさ
ホロウ・シカエルボク
掘削機が強固な岩盤を削り続けているみたいな理由の無いプレッシャーが精神を脅かしていた、午前のまだ早い時間だったが俺はすでにその日の終わりを感じ始めていた、その感触をどんな風に説明してみても上手く伝えることは出来ないだろう、これはそういう種類のものだった、視界はフラッシュ効果のように時々ちかちかと瞬いた、俺の瞬きとは全く違うリズムだった、どうでもいい疲労が肩口に纏いついていた、拳骨で二、三発殴ってみると少しマシになった、数日前からなにかが頭の中で囁き続けているのだがそれをちゃんと受信することがどうしても出来なかった、が、それによって苛立ちを覚えるということは無く、まだ受信する段階ではないのだというふうに俺は捉えていた、実際、そうした予感はこれまで間違いだったことが無かった、こんな時は可能な限り時間をゆっくりと進めることだ…そんな方法をどう説明すればいいだろう?この感覚を誰かに説明しようと思ったことがない、もとより話す予定もないものだったからまったく見当もつかない、まあいい…動かずに、視線を固定して、自分の周辺で起こることすべてになるべく意識的になる、出来る限り、あらゆるものをキャッチしようと努める、そうすると時間がゆっくり流れているみたいに感じるんだ、俺は子供の頃からその遊びが好きだった、授業中なんか特に没頭してたよ、羽目を外しさえしなければ注意されることなどなかったからね、なぜだかそれをすると凄く冷静になって、集中して物事を考えることが出来るのさ、そう―そういえば一度だけ、この遊びで酷い目に遭ったことがあった、いつのことだったか、そう、確か中学ぐらいの時だ、もう夜遅い時間だった、俺は眠る前にこの遊びを試してみようとして、危うく肉体を失うところだったよ、ふわっとしてさ…魂だか霊体だか知らないけれど、明らかに俺の身体から出て行こうとしていた、これはマズいことだとすぐにわかった、だって、そいつが抜け出れば抜け出るほど、意識が遠くなっていくのを感じたからね、どうやってその流れを断ち切ったのかもう覚えてないけれど、どうにかこうにかそいつを肉体に戻すことが出来たよ、その日以来寝るときにこの遊びをすることは無くなった、そんなことを思い出しながらようやく時間がゆっくりと流れ始めた時電話が鳴った、仕事の―なんてことない用件の電話だった、それでその遊びを続ける気分でもなくなった、少し散歩をして気分を紛らわせた、動かなければ人間は駄目になっていく、そう思っているせいなのかそれとも、歩くのが好きなだけなのかわからないがやることがない日には俺は必ず一時間以上歩く、出来れば午前中に、そうすると考えはまとまりやすい、掘削機の音だって知らない間に消えている、太陽の光は一月でも暖かい、地球温暖化なんて話を鵜呑みにはしていないけど、近頃の天気は少しまともではないなと感じるところはあるよな、街はなんの変哲もなかった、長い休日なのに人出もたいしたことは無かった、俺が子供の頃は歩くのも困難なくらい人でごった返してた街、もうそんな光景は二度と無い、そもそも店自体が随分と減ってしまった、地域再生、なんて言葉をよく耳にするけれど、滅びなんてものは始まった時点で終わっているのさ、そうなってから手を施したところでもう手遅れなんだよ、進行の早い癌細胞みたいなものさ、そいつを止めることは、そうさ、おそらく誰にも…だから俺はあるときから、人間であることもやめたんだ、人間はすでに滅びに向かっている、高スペックの身体を持ちながら、そのほとんどの機能に気付かずに、産業用ロボットのように決まったルーティンだけを繰り返して生きている、こんなものの仲間になるのは御免だと思った、だからそのルートをある時断ち切ったのさ…そんなやりかたは時代遅れだって?後先の無い、破れかぶれなやりかたは…でもそれがなんだって言うんだ?俺は俺しか居ない、時代遅れだのなんだのっていうのは、人生の基準が自分以外のどこかにある人間の言うことさ、俺の基準は俺の思考の中にしかない、比較対象は必要無いんだ、何かになろうなんて思わない、何ものでもなくなる方が面白い、それは予定の無い旅のようなもので、その日行こうと思った場所に向かって進むことが出来る、動きたくなければ動かなくたっていい、その逆で、もう動きたくないと思うまで動き続けることも出来る、そういう意味で言えば、好きに動き続けることこそを人は自由と呼ぶのかもしれないね、じゃあ俺はいったいなんなんだ?って聞くのかい、そうだな、便宜上詩人だっていうふうになっているけど、俺は自分の書いているものが詩だとは思っていないんだよね、なにものでもないヤツのなにものでもない言葉さ、でもそれはもの凄く自由で、気まぐれな喜びに満ちているんだ、それだからこそ…それだからこそ俺の背後には、沢山の言葉の残骸が散らかっているんだろうな、そんな光景こそがもしかしたら、この世で一番ポエティックなものかもしれないなんて、そんな纏め方はご都合主義に過ぎるってもんかね?