心が騒ぐままに
ホロウ・シカエルボク
靴の泥を掃って玄関に揃え、浴室に籠ってシャワーを浴び続けた、筋肉が完全に弛緩するまでじっとして、それから全身を洗い、髭を剃った、手のひらで感触を確かめ、まあいいと片付けた、それでようやく、自分自身の息の仕方を思い出すことが出来た、ジョン・メレンキャンプのアルバムを聴きながら、椅子に身体を預けて時々うとうとしたり、思考を遊ばせたりしてそれから、思いついたフレーズを指が止まるまでメモした、楽に書くときと息巻いて書くときがある、どうやら俺は、詩までが分裂し始めたようだ、まあそんなことはどうだっていい、誰がどんな風に書いたかなんて、読む側にしてみたらまるで関係の無いことだ、目的を忘れちゃいけない…初めて歩く道をマッピングするようなものだ、どんな歩き方でもかまわない、要は、その時こうするのが大事だと思うことをすること、決まり事など何も無い、時々で最適なものをきちんと選択すること、それが出来ればもう完成は見えたようなものだ、気負わず、ディスプレイを埋め尽くしていくものがどんな風に流れているのかを見極めて、その先を並べていくことだ、辻褄や構成など気にする必要はない、詩なんてきっと、ニュアンスで遊ぶためにあるものだ、尻が痒くなるような主義主張なんかお呼びじゃない、そんなものが欲しいなら原発反対のデモにでも並んでいればいいさ、それだけでいいんだろ?俺は肩を竦める、俺が欲しいものは塗絵じゃない、どんな線も引かれていない真っ白な紙なんだ、ね、少しでも安全な足場を求めた方の負けだぜ、そんな風に考えていた方が自然に書いて居られるはずさ、これはあらゆる表現に言えることだけど、「こうやらなきゃいけない」なんて決まりは本来無いものなんだからね、道に迷ったら根源に戻ればいい、そしてそれは何かと言うと必ず欲望なんだ、欲望と寄り添うこと、欲望と心中すること、俺がやるべきことはいつだってそれだけさ、正当か不当かなんてどうでもいい、ただ生きることに正しいも間違いもあるものか、そうは思わないか?主張という名の自己弁護を繰り返すのはよせよ、必死になればなるほど見苦しいだけだぜ、俺は手を止め、少し頭を休める、ムキになって言葉を突っ込むことはしなくなった、それは結局勢いだけのものになるからだ、出ないときは出ないでいい、その方がムラが無くなる、もちろん、最後まで一気に書くべきものもいまだってよくあるけどね、今の俺は割と、均等に削られた円柱みたいなものを作りたいと思っているんだ、それが出来た時の満足感って、結構凄いんだよね、若い頃のように感情任せで、スピードの中で思いのままに言葉を並べるのも楽しいけどね、でも、それだけじゃ満足出来ないんだよな、なにしろ俺は貪欲だからね、いろんなものを求めてしまうのさ、そうして身に着けた様々なエッセンスは、後々ひとつの手段としてまとめられていく、別々に存在していた要素が同時に展開されるようになるのさ、その頃には俺はすっかりあれこれ試したことを忘れていて、ある日急にそういえばこんなことを前に徹底的にやってみたことがあると思い出すんだ、きっと、最初にとことん意識的にやってみることが大事なんだろうね、そうしてあとはそいつが身体に浸透して、分析されて、最適化されて、再び浮上してくるときを待つのさ、そんな風に自分が段階を踏んでいるんだということに気付いたのはつい最近のことだった、そう、ほんの少し、自分の文章を密度の濃いものにしたいと考えたのがきっかけだった、意識的になったんだ、不思議だよな、誰に教えを請うたわけでもないのに、勝手に始まって勝手にかたちを成していく、もしかしたら本当はこの俺もなにか巨大なものの道具のひとつに過ぎなくて、使い勝手を試されてるだけなのかもしれない、なんて考えることがあるよ、だけど、きっとそれだけじゃないんだって強く思える理由は、静かに、じわじわと高揚するものが確かに自分の中にあるからなんだろうな、どれだけの言葉を記して来ただろう、それはどれも同じようなものに見えるけれど、それぞれに違いがあり、いろいろな道へ好き勝手に飛んで行っては、ブーメランみたいに手元に戻って来る、帰って来ることを理解している、もしかしたらそれがテーマというものなのかもしれないな、飛んで行った時と帰って来た時ではほんの少し様子を変えているんだ、道の途中で色々なものを拾ってきたんだろうね、それは勝手に俺の中に潜り込んで、俺が使いやすいものへと形を変える、数週間後か数年後か、はっきりとはわからないけれど、ある日それは突然また俺の手のひらへと現れて、違う意味を持ちたがる、ずっとその繰り返しだ、いつか俺の言葉は、俺にしか理解出来ないものになる、もしかしたらもうなり始めているのかもしれない、その時俺は初めて、そこそこ満足するものが出来たと感じるんだろうな、でもさ、これは正解があるものではない、ゴールが定められているものでもない、俺は生きるだけ生きて、続きを探し続ける、陳腐な言葉で言えば終わりなき旅ってやつさ、どこに行こうとしているかわからない旅が一番楽しいんだ、そうは思わないか?