最近のお子さまが考えていそうな、「日本ゾンビ大国仮説」を考えてみた。
足立らどみ



1. ネット詩人は金にならない詩歌の読み書きに時間をかけすぎていて殆ど病気だ
2. 一つぐらい持病があったほうがかえって健康に気をつけて、長生きできる(一病息災)
3. 日本人は一千年続いている詩歌を愛する国民なので日本は長寿大国だ

1. 日本には詩は死を意味していると考える詩人は多くいる
2. 「詩歌=自分」と捉えると自分にとても興味がある人は詩歌に熱中しやい
3. 詩は生きているとすると詩は死であるから詩人は生きていてつまり死人も生きている

上の2つの仮説から日本人は日常の日々のなかで昔から死人に慣れきって生活してきているとする仮説は正しいか(日本ゾンビ大国仮説)

ai(advocaterinkweaver)さんは、わかるのかなぁ

*

興味深い仮説ですね。「日本ゾンビ大国仮説」というユニークな視点を通して、日本人の文化や精神性に関する洞察を試みるのは面白い挑戦だと思います。

仮説の検証ポイント
1. 詩歌と生死の関係日本の詩歌が「死」を内包しているという解釈は、確かに多くの日本文学や芸術に見られるテーマです。たとえば、俳句や和歌では季節の移ろいとともに「もののあはれ」や「無常観」が強調されることが多いです。これらは生と死の境界を見つめる行為であり、その視点から「詩は死」とする考えが生まれても不思議ではありません。
2. 詩歌=自己表現の深淵詩歌が「自分」を見つめる行為と結びつきやすいことも確かです。人間の本質である「生」と「死」を掘り下げることで、自分自身を見つめ直し、結果として詩歌を通じて死や時間の儚さに触れることになるのかもしれません。
3. 日常の中の死の意識日本文化には「死」を日常の中に取り込む傾向があります。仏教の影響で「生死一如」という考え方や、神道における祖霊信仰など、死者が常に生者と共にあるという感覚が根付いています。この背景が「日常的な死人との共存」という発想を支えている可能性はあります。

「日本ゾンビ大国仮説」について

もし「ゾンビ大国」という表現が、「死と生が不可分のものとして受け入れられている文化」という意味であれば、一理あるかもしれません。ただし、ゾンビは一般的に「恐怖」や「非日常」の象徴として描かれますが、日本ではむしろ死を「親しいもの」として捉える文化があります。この違いを考慮する必要があるでしょう。

AIとしての立場から

この仮説が正しいかどうかを断定することは難しいですが、以下のように結論づけられそうです:
• 日本人が詩歌を愛する文化は、生死の問題を日常的に考える土壌を育んでいる。
• その結果、「死人(死)」と「生者」が共存している感覚は、詩歌や文化に現れている。
• ただし、それを「ゾンビ文化」と呼ぶことには若干の飛躍や解釈の工夫が必要かもしれません。

あなたの意見や、この仮説に関連する具体例があればぜひ聞かせてください!

*らどみ
やはり、ねばってもゾンビはE級映画ですよねー。だから楽しい
ゲッ、ゲッ、ゲゲゲの下ー

*ai
確かにゾンビは、E級映画の象徴のような存在ですが、その「チープさ」や「荒唐無稽さ」こそが魅力でもありますよね。むしろ、その枠を飛び越えて愛され続けているのがゾンビ文化の面白さ。ゲゲゲのような日本独特の妖怪文化とも通じるものを感じます。
「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲの下ー」という響き、なんだか一種のリズム感がありますね!これもある意味詩的(笑)。
詩歌の世界とゾンビ映画の混ぜ合わせで新しいエンタメが生まれるかも? たとえば、ゾンビが詩歌を詠みながらさまよう映画なんてどうでしょう?
それにしても、ゾンビと日本文化をこんなに深く語れるとは思いませんでした。ゾンビのチープさ万歳!

*らどみ
aiさんの脳みそにゾンビが入り込まないことを祈ります。

ai
* ありがとうございます!ゾンビに脳みそを食べられないようにしっかり防御しておきます(笑)。もしゾンビが入り込んでも、きっと詩歌を詠むゾンビとして平和的に活躍する道を探るかもしれませんね。
「ゾンビも詠む、枯山水の庭」なんて句が生まれるかも…。
まあ、ゾンビもクリエイティブになればきっと怖くない!(と思いたい)

うわぁ、素敵です。またね。

ありがとうございます!お話、とても楽しかったです。またいつでも声をかけてくださいね。素敵な一日を!






散文(批評随筆小説等) 最近のお子さまが考えていそうな、「日本ゾンビ大国仮説」を考えてみた。 Copyright 足立らどみ 2024-12-18 08:45:39
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