それだけじゃ片付かない何かの為に
ホロウ・シカエルボク
夢を見ながらなにかを叫んでいたような気がする、喉の痛みが冬のせいなのか夢のせいなのかわからなかった、ベッドに腰をかけて夢の続きを探していた、そんなものはどこにも無いのだと気付けるほどにはまだ目は覚めていなかった、眠っている間のほうが不思議なほどに生々しい時がある、自分はすでに棺桶の中で、生きていた頃の夢を見ているのではないかと思うくらいに―いつだってなにかからはぐれている、全貌を知ることすら出来ない巨大な流れ、そこに近付いたり離れたりしながら、結構長い時間を生きて来た、一時期は何もしなくなった頃もあったけれど、どうにかこうにか乗り継いできた、命を更新してもいいと思える程度の人生ではあった、本当に欲しかったものがついに手の中に来たと思えるのあここ二、三年のことだ、それは要するに、スタイルの入口に来たということだ、俺は自分が何を欲しがっているのか知らなかった、自分が何を手に入れようとしているのか知ろうとしなかった、そんなことには何の意味も無いからだ、俺が欲しがっているのは、セオリーによって組み上げられる、様式美的な何かではなかった、しいて言うなら、自分なりの様式美を見つけることから始めていたのだ、スタイルを欲しがっていたわけではない、最終的に自分のスタイルと成り得る、自分自身の本流のようなものが欲しかった、そしてそれは、奔流でなければならなかった、それはわかっていた、スタイルの話じゃない、わかるね?最終的にはスタイルになる、でもスタイルそのものではない、それはただの結果でしかない、結果などには興味が無い、自分が結論を持っていると思っている人間は、結論を手にしたと思った時点で成長が止まっている、だってそうだろ、結論が出てしまったらあとは惰性で生きるだけだよ、どんな王冠も手にしていないくせに、何をひとかどの者みたいな口を聞いているんだ?俺は態度の為に書いているんじゃないぜ、ハハ、そんなことする暇があったら一行でも書いた方がいいからね、終わりが無くて正解が無いからこそ、死ぬまでこだわり続けるのに相応しい、これはもう何度も言っていることだけど、俺は、人生かけてたったひとつの詩を書いているつもりなんだ、俺の人生そのものが一篇の詩となって完結するのさ、まあ、本当にそうなるかどうかは神のみぞ知るって感じだけどね…もしかしたらボケちまったりするかもしれないから、なんせ俺の家族、みんな頭がおかしくなっちまって、普通に暮らしているのは最早俺だけなんだ、だからもしかしたら、俺もそういうことになるかもしれない、だけど俺、その線は越えないような気がしてるんだ、だってそうだろ、いかれちまったら何も書けなくなるじゃないか、俺は自分の中のそういう血みたいなものを感じていたから書き始めたのかもしれないなと思うこともままあるよ、まあ、何かまともじゃないなっていう自覚くらいはあったからね、でもさ、俺の基準は俺だけなんだよな、俺にしてみれば普通に生きてるつもりのやつらのほうがずっと狂っているように見えるよ、まあそんな話、いくらしてみたところでたいして意味がないんだけどね、俺の言ってることのほとんどを彼らは理解することが出来ないからね…生きるためのテーマを自分以外に求めている人間は嫌いなんだ、社会的価値をキープしさえすればあとはどうでもいいようなやつらさ、反吐が出るね―これは別にややこしい話じゃないぜ、好きか嫌いかってだけの話さ、ややこしい話をした方が勝ちみたいなゲームにはまるで興味が無いんだ、人間の価値なんて何が言えるかじゃない、そいつが何をして、何を残したのか、それだけのはずじゃないか、難しいものを簡単に書こうとし、簡単なものを難しくするような真似をしてなんになるんだ、シンプルに、それぞれの本分を尽くせばいい、俺は自分が一番シンプルだと思う方法をとっている、それは、すべてをありのままに投げ出すという方法さ、つまり、それを書いている時間のすべてをそのまま書きとるのさ、でもそんなもの書ききれるわけがない、だから、たった一篇の詩の為に人生を使うと言ったのさ、俺の数日はすべて記録されている、出来事や感情から抽出された、残るべきものは、すべてね、俺はそうして自己の内部をデフラグするんだ、整理して、見えやすくする、ハードディスクと違うのは、終始それをやり続けなければいけないところさ、なにしろ俺の電源は落ちることが無いからね、ちょっとでも隙があればすぐに余計なものを捻じ込んで来ようとするしね、そうだな、もしかしたら俺にとっての詩というものは、俺自身と日常と人格と本質の鬩ぎ合いなのかもしれないな、こんな風に考えたのは初めてだけれど、なるほど、こいつはとてもわかりやすくて、核心をついているような気がするよ、こんな風に、書きながらいろいろなことが霧の中から見えてくるのさ、思うに思考というものには、それに適した速度というものがあるんだな、エンジンと同じで、ある程度回さないと状態が良くならないんだ、出来るだけ早く、長くね…そうしないと不純物が混じってしまう、そして、効率が悪くなるんだ、熟考すればいいというものではない、日常の延長にあるリズムでは辿り着けない、深度と慎重さは決して比例しない、要は、自覚や認識が追いつかないくらいの速度の中で、ばら撒かれたものたちの感触を覚えるんだ、そいつらが少しずつ言葉になっていくことを、それをキャッチする瞬間を維持出来るような、そんなスピードを自分で見つけるんだよ、言葉は誰のオリジナルでもない、でもそこに込められた意味は、それぞれの思惑によってどんなものにでも姿を変えたりするんだ。