世迷言トゥルース
ホロウ・シカエルボク
反故になった約束が呪いに変わり、天井の隅で焦げ付いたような臭いを放つ、だからなんだというのだ、と俺はひとりごちる、そんなこと別に珍しいことじゃないだろう、どうして誰しも、他人が自分の思い通りになるなんて考えるのか、俺に言わせればそんなものは甘えだ、線の引き方は信じないくらいでちょうどいい、善悪はたったひとりの基準では決まることが無い、少しの間ソファーに座り、自分の座標を確認する、羅針盤はまだ役に立つみたいだ、一昔前の道具は突然壊れたりしない、わからないのだ、誰もが、ただ便利なことだけを重宝し過ぎて、まあ、他人様のことなんてどうだっていいけどな、そばにあったピーナッツを齧る、インスタントコーヒーの粉をマグカップに投げ込んでポットの湯を注ぐ、目を覚まさなければならない、粉を追加する、馬鹿みたいに苦さを求めるのは幼さだ、それはわかってる、でも、そんなことにこだわらないとやってられないことだってあるさ、どれぐらい眠り続けたのか、部屋に時計もカレンダーも無いからすぐには確認出来なかった、携帯を見てみればいいのだが、そんなに急いで確認する気にもならなかった、どうせしばらく用事はなにもない、そんな日はほんの少し日常の時間軸をズレてみてもいい、面倒ごとなど特別起こることも無い、流れの外に出ることを覚えなければ、自分が正しく流れているかどうかも判断出来なくなるかもしれない、流れに乗っかるだけの盲目的な連中を見ていると本当にそう思う、いつだってこの街は反面教師には事欠かないんだ、コーヒーを飲む、熱いとわかっていて飲む、喉を焼くような温度じゃなければ、それを撫でていく蒸気を感じることは出来ない、俺はインスタントコーヒーにいたぶられている、別にマゾヒズムについて話すつもりはないが、自傷行為に近いものかもしれないと思うことはたまにある、たまにね、だけど、そんなことカテゴライズするほどのことでも無いじゃないか、俺はこれからも時々そうやってコーヒーを飲んでは軽い火傷を負うだろうし、変だなと考えることもあるだろう、でもそれはただそれだけのことなのさ、こんなちょっとした話をああだこうだとこねくり回しても出来上がるものはたかが知れてる、そういう間違いについては俺は多分人より詳しいんだ、俺のオリジナリティーはディティールだって思うこと、多々あるからね、そんな模索の中でそうした間違いをおかすことだってままある、学ぶこともあるし、学ばないときもある、だってさ、有意義なものだけで書かれたものが美しいのかっていったらまた違うだろう、建築と一緒でさ、無駄なものの方が得も言われぬ味を持っていたりするんだ、機能的な住宅とやらの味気無さ、俺たちみんなそのことを知っているはずじゃないか、コーヒーを飲んでしまうとしばらくぼーっとして、その日やることを考える、反故になった約束はしばらくざわつかせただけで気が済んだらしい、いつのまにか姿をくらましていたし、臭いも消えていた、そう、少しは、煩わしい思いだってする必要があるのさ、どんなに好きに生きて行こうとしてもね、そういうこともないとわからないこともある、望み通りのものだけで生きて行こうとするなら、早めに楽隠居するくらいしかすることはないさ、でもそんな人生にどんな意味があるっていうんだい、自分がどんな年寄りになるかなんて想像もつかないけど、少なくとも自分で動いて自分で考えられる人間のままでいたいとは思うね、若いうちから頭の使い方を忘れてる連中がワンサカいるような街で暮らしているとね、俺は生まれたときからずっと、反面教師に囲まれて育って来たようなものさ、会うヤツ会うヤツ、気に食わない人間ばかりだった、ああはなりたくない、こいつは嫌いだ、おかげで今では、地元民なのかどうか疑われる始末さ、とあるところじゃ、外人みたいだって言われたよ、あれについては心の中でどうもありがとうって言ったね、日本は好きだけど日本人は好きじゃないことが多いよ、惰性を美徳とするような場所で詩を書いて生きていると俺の方がまるで変人みたいになる、でもそれは俺みたいなヤツが少ないってだけのことなんだ、俺はそのことでやったともしまったとも思わないよ、だってそんなことどうでもいいことじゃないか、そもそも俺は俺しかいないわけだしね、俺は他のやつらとは違うぜ、なんて、そういうんじゃないんだ、これはただ、現実としてそういうことがある、という程度の話に過ぎないんだよ、何の用事も思いつかなかったので散歩でもすることにした、近くの繁華街を歩いて、本屋でも覗くのさ、本当はCDなんかも物色してみたいけれど、繁華街に唯一残っていたCDのショップもとうとう閉めてしまった、もう徒歩圏内にCDが買える店なんて残っちゃいないのさ、まったく嘆かわしい話だぜ、アンプにスピーカーを繋ぐことすら知らないようなのが、デジタルデータをブルートゥースイヤホンを耳に突っ込んで聞きかじってわかったような口をききやがる、そんなものは音楽なんかじゃない、彼らは自分でそれを選んだと思っているけど、実は掴まされてるだけなのさ、俺の言ってることを懐古主義の老人の戯言だと思うかい、まあどんな風に思ってもらってもいいけれど、でも、これだけは言っておきたい、全部がそういう言葉で片付けられると思ったら大間違いだ、紙とペンしかなかった、木を削って作った簡易的な楽器しかなかった、そんな時代から変わらずに受け継がれている真実というものは必ずあるんだよ、さて、じゃあそろそろ出かけるから、またな。