『90年代邦楽』はなぜ懐メロにならないのか?
おまる

いまだに90年代を引きずってる奴なんて、ろくでもない老害に決まってるじゃないですか。ひろゆきなんかも、あれは遅れてやってきた90年代表象みたいなものですから、最近は老害の代表格としてバッシングされてますね。とはいえ、ここまでいっといてなんですけど、わたし自身、こころは90年代キッズなんですね、はい。パンチラを見るとおもわず「ワンダフル」って、同名のエロ深夜番組のアイキャッチ叫んでるくらいですから。元号こそ変われど、実態は昭和の最終形態だったでしょう、90年代。豊かだった時代の残り香がまだ強烈にあった。

かつて「カウントダウン・ティーヴィー(CDTV)」という深夜番組がありました。とりわけ印象に残っているのは、フィッシュマンズの「baby blue」のライブ。ステージの背景に何故かでっかい犬小屋?みたいなのがあって、佐藤伸治がタコ踊りしながら歌ってやんの。子供にはそりゃトラウマもんでした。

おっさんが90年代邦楽マンゼーいっても、昭和生まれはともかく、Z世代からすると意味不明すぎてキルモードに突入するレベルでしょう。サブカル自意識おじさんの謗りを免れない。ここでいきなりX JAPANやBUCK-TICKやルナシーを語りだしても誰得情報ですし、

自分は古典的な「90年代邦楽(特にV系)最強」論者ですが、その信念が揺らぐ時もないわけではないです。今聞いたら歌詞が絶妙にダサいやつとか、そういうの聴くと、そろそろ転向したほうがいいかもなと思うし。あと、ぶっちゃけゼロ年代以降のV系はあさっての方向に進化しすぎて、わたしも手に負えないです。V系の男性愛好家、怖いですしね。ヘタな事言えません。

齢も三十後半になりsadisticdesireを歌える狂メンタルはもうないですし、いざ歌うとなっても、どうせhideのコーラス・パートを引き受けてくれる者もいないでしょうし。オケいく=若者ムーブって発想自体がすでにして老害の門が開いていく感じですし。

ですがまあ、V系だらけの相撲大会があったらYOSHIKIが無双するのは火を見るより明らかなのですがね~(→しつこい)

Z世代とかでV系よく知らない人なら、とりあえず才能が一番集まってた時期とCDバブルが一致してた黄金期(グレイであり、ラルクであり、ルナシーであり、黒夢であり、ラクリマクリスティであり、シャズナであり、エトセトラエトセトラ)を聴けばいい。

「あ、違うかも」と思ったらすぐ離脱して別の道を探求すればいい。押し付ける気は毛頭ない。

あくまでわたし自身が、90年代邦楽(の一部)が、なかなか懐メロ化しない「気がしてならない」ことを、内観して、論理的に考えてみたいという衝動があるに過ぎません。しかし「懐メロとは何か?」をメタ視点で考えだすと、なかなかやっかいです。昔に売れた人でも、いまだに活躍している人(中島みゆきやユーミンとか永ちゃんとかドリカムとか)なら、なかなか懐メロのカテゴリーに入りにくい、かたや時代を超越しているようなパーマネントなマスターピースを世に問うたにも関わらず、物理的に我々の視界から退場してる人なら、とっくに懐メロに分類されてることもあるでしょう。

陽水の「ダメなメロン」っていう曲は、一般の懐メロの定義からすれば、ドンピシャでしょうが、わたしには懐メロに聴こえない。なんというか狂ってるんですよね、この曲…

https://www.youtube.com/watch?v=BIix-RjIiWE

なにも、懐メロを考えるとき、このような思考の”態度”に限定しなければならない理由はありません。わたしたちは、いろいろなことを考えたい人間である以上、こういう意見もあれば、ああいう意見もあるはずで、意見だらけの人間でなければならない(”意見を持つ”という態度は特に若者に効くのです)だからこそ若者ほど音楽シーンに惹きつけられてきたわけだが、それはひとつの思考の方向性でしかない。現在はメインストリームとアンダーグラウンドという単純な図式も霧消し、チューブや、TIKTOKや、ニコ動や、また他の記号的構造物のつくり手があちこちから生まれている。となると、なおさら、懐メロについて合理的な議論を展開できる気にはなれないのですよね。あれこれと記号を語ってる場合ではないのかもしれません。たくらみそのものが時代遅れかもしれない。

なんとか合理的に書くよう努めはします。ちょっと気が進みませんが、社会学を敷衍して説明しましょうか。まだバブルがはじけきってなかった90年代前半はイケイケの曲で攻めまくって空元気を振り回すことで刹那的に病みを忘れさせてくれる「がんばろうカノン」系が大流行してました。「愛は勝つ」「どんなときも。」「それが大事」、小室ファミリー、ビーイング…この系統の楽曲は、順調に懐メロ(黒歴史?)化しているといってよいでしょう。バブルが完全にはじけて、次第に空元気すらも通用しなくなってきて、山手線へのダイブが日常化するようになると、病んだ社会の受け皿として、病んだ大衆が病んだ「みんなで傷口ぺろぺろ」系の音楽に流れ込んでいった。この病み=闇の磁場が、懐メロ化を強力に阻んでいるのではないか?というのが、わたしの勘です。

ちなみに2000年~2024年の間に、局所的に似ている時期がありました。それはリーマンショックですが、ちょうどその頃流行っていたのがPlastic Treeとか、相対性理論とか、神聖かまってちゃんとか、ベボベとか、

当時「ふ~ん」って思って聴いてましたが、かんがえるに、かなり90年代ぽかった。

ここまでの論考が異常に思える人は、奇異な主張に感じるかもしれませんが、リップスライムとか、SOUL'd OUTとかも、わたしからすると、すでに懐メロ臭があるのです。

https://www.youtube.com/watch?v=e13x1aHU--0

「俺タチワ~」って…

音楽と自分の青春の原体験が溶け込んでるからの可能性もあるので、話半分に聞いてほしいですが、このまっしぐらに邁進しているムード、扇動してる”風”が、わたしには懐いんですね。


散文(批評随筆小説等) 『90年代邦楽』はなぜ懐メロにならないのか? Copyright おまる 2024-12-01 20:37:24
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