ベビーブルー
室町 礼
1985年。
戦後日本にとって一番豊かだった頃の銀座。その一角にある
赤レンガつくりの古ビルでわたしは暖房用ボイラーの運転と
清掃係として働いていた。
今と違って当時はまだエアコンが普及しておらず、銀座のほ
とんどのビルは中央暖房システムをとっていた。大きなボイ
ラーから各階の各室へ温風を送るのである。ただ、当時は人
員がいつも不足していた。
ボイラーマンは一日中、地下や屋上の機械室でひとりで働く
孤独で退屈な仕事だった。だからなかなか人が集まらない。
そこでわたしのような保証人もいない学歴もない若造でもビ
ル管理会社は雇ってくれたりするのだった。
つまりビルのボイラー係などというのは人足とそう変わらな
い3K仕事だった。
わたしが7階建てビルの各階にあるトイレ小便器の受け口に
顔をつけるようにしゃがみ、表面にこびりついた汚物の滓を
こすっていると背広を着た商社マンらしき男がいま磨いたば
かりの隣の小便器にわざと立ち、勢いよく放尿音を立てなが
らいったものだった。
「おい、手を抜くんじゃないぞ、顔が映るくらいに、もっと
ピカピカにしなきゃ」
ちっと舌打ちして表情も変えずに出ていくのだったがその後
姿を見送りながらわたしは思案をめぐらしたものだった。
かれはわたしの掃除の至らなさに不満なのじゃない。若いの
にトイレ掃除なんかをしているわたしに腹を立てているのだ。
つまりわたしを軽蔑している。当時わたしごときに真摯に腹
を立ててくれる者などいなかったから、いつも傲岸にわたし
を見下してくるその男にわたしはむしろ温かいものを感じた。
わたしは彼のわたしに対する真摯さを評価し、かれの不遜な
態度を許していた。
ほんとうにバカにしている連中は声なんかかけないさ。
それは三階にある画廊の、若くて魅力のある女性マネージャ
ーも同じだった。バケツと箒をもって彼女と廊下で出くわし
たりすると、ちょっとうれしくて挨拶する。すると彼女はい
かにも軽蔑したときに女性が示す表情、つまり無表情のまま
何もいわずに扉を閉めるのだったが、それすらちっとも腹が
立たなかった。
政治家や富裕層の、それも少し怪しげな影のある男たちが出
入りするその画廊のオーナーは株屋であるらしくときたまや
ってきたが、件のモデルのように美しい女性はたんに大金持
ちたちの接待を任せられているだけのいわば人形だった。
おれとどこが違う?と思った。わたしはむしろ彼女を少し可
哀想にすら思っていた。
ビルの清掃が終わると夕方からはじまる銀座の銭湯に通った。
当初、華やかな銀座の銭湯とは、どれほどのものかと期待を
していたのだが、表通りから三筋ほど裏通りにあるその風
呂屋はおそらく大正か昭和初期に建てられたものらしく、ま
るで映画でみた網走の代用監獄のような汚さで、わたしです
ら色のくすんだタイル床と不潔そうな湯船に入るのをためら
うほどだった。天井の灯火は薄く、脱衣場の雰囲気も陰気で
あった。客のほとんどはこれから光り輝くネオンの下にある
キャバレーやバーなどに出勤するバーテンやボーイたちなの
だろう。のろのろして、ちっとも元気がなかった。
経営者は風呂屋を修繕する気配はなく表玄関の小さなしもた
屋のような屋根は崩れそうなまま放置されていたことを覚え
ている。
古ビル一階の喫茶店は12時まで営業を続けており地階の居
酒屋はときに朝方までやることもあった。
わたしは風呂から帰るとボイラーを点検し、エレベーターと
階段が交差するところに何故か出来た三角形の狭い空間を寝
室としてあてがわれており、そこに布団を敷く。そして寝転
びながらボイラーを鎮火する時間が来るのを待った。その間
にも六階にある総会屋とおぼしき「日本経済総合研究所」な
る事務所から蛍光灯の交換や暖房の調整などの電話がかかっ
てくる。地階の居酒屋の店主は週に一度ほど
一升瓶の日本酒などをわたしに届けた。暖房の便宜をはかっ
てもらうのが目的だった、そこは互いにあうんの呼吸で双方
笑って小さな賄賂をやりとりしていた。総会屋のほうも呼び
出されて修理などに行くたびに三千円ときには一万円などの
チップをくれた。居酒屋の大将や総会屋のかれらは理念では
なく現実に生きているのでわたしを軽蔑することはなかった。
一見、ヤクザのような強面の人たちだったが働くわたしを若
輩であっても一人の人間として真摯に対応してくれた。
むしろ理念を持ち、その理念を語る空間で聞こえのいい言葉
を語っている人たちから辛酸を舐めるような差別や侮蔑を受
けることが多かった。
わたしは三角形の狭い空間に戻ると書き物をするのが日課に
なった。
あの人たちが
心の底から戦争を終わらせたいわけでもないし
差別を憎んでいるわけでもないことを
ぼくはよく知っている
愚鈍な積み崩しの人生を重ねてきたぼくは
いつも彼らの態度が
かれらのことばの真逆であることに注目してきた
ぼくにとって詩を書くことが心身の問題であったとしても
かれらにとってそれがオブジェでしかないとすれば
ぼくにとって
ものを書くということは
晴天に傘をもつ男のように
滑稽なことだ
古ビルで働いて一年ほどたった頃わたしは三階の画廊の女性
と銀座の街中で偶然出遭った。
たしかクリスマスが近づく冬の夜だったと思う。
彼女のお腹は少し膨らんでいた。
妊娠していたのだった。その彼女がどうも酔っていたらしく
口も交わしたこともないわたしを呼び止めた。
大きな声で陽気に、飲みに行きましょうという。
尋ねたいことが山ほどあったとしても
こんな夢のような出来事が今後あるとも思えなくて
愛犬が飼い主にじゃれつくように、ただ黙ってついていった。
どこかのクラブでカウンターに腰を掛けて話したがわたしは
彼女が異常であることにすぐ気づいた。
あとで調べてはっきりわかったことだがまさにMaternity
Bluesといわれる妊娠初期の情緒不安定だった。
彼女は赤ちゃんを身籠ることになった相手のことなど忘れて、
まるでこのままホテルにいってもいいような素振りで寄りか
かってきた。
わたしとすれば彼女の異変が、たぶん妊娠の重圧から来る精
神不安のせいだろうとあたりをつけていたからすっかり冷静
になってかなり白けていた。
わけのわからないことを呟く彼女をタクシーに乗り込ませて
送ったあと、すぐに気づいたのはボイラーを放ったらかしに
していたことだった。
戻ってみると水の供給が不足したボイラーはシーケンスの外
側まで真っ赤に発光していた。
いまこの瞬間にも爆発してもおかしくない状態だった。
水を供給したら即、大爆発を起こすし、かといって......ふ
とみるとその危険なボイラーにはしごをかけてビル管理会社
のハゲ頭の社長が恐怖をものともせず何か黙々と作業をして
いた。いったいどういう経緯でそこにいたのかわからない。
結局ボイラーは丸2日かけて冷却したものの、わたしはクビ
になった。
ああ、凡庸なハゲ頭の管理職だと人を舐めてはいけない。だ
てにビル管の社長をしているのではないと反省した。