bottomless swamp
ホロウ・シカエルボク
呪詛のような蔦に巻かれ、痩せ細る夢を見た転寝の午後、少しずつ窓を駆逐せんとする強い西日、動乱めいた夕暮れが背中まで来ていた、コークスクリューの風が吹く十一月の終わり、ベルベッドにくるまれた骨の身元は誰も知らない、肌を炙るような寒さ、唇が凍りつくからひとり言を喉元に並べる、雨蛙がどこかで小さく鳴いている、パバロッティの発声練習のように、指先はいつもどこにも無いものを探している、少なくとも昨日とはまるで違うものを求めている、手数はいつかどこかで同じものに辿り着くのかもしれない、けれど、例えば同じフレーズを使っても同じ意味になるわけじゃない、補足するなら、探し続けている人間は以前とまったく同じものを発信することなど不可能なのだ、座標は特定出来ない、動き続けている、動きの中で求められる思考がリアルタイムなのだ、それは旋律を持たない、それは定型性を持たない、常に変化の中にいて、経過をありのままに映し、結論はあまり重要に思わない、すでにある結論ならそこに並べる必要はない、夕暮れが空を覆い尽くす前に幾つかの行が書き足される、思いだけではいけない、技術だけではなおいけない、すべてがバランスよく整っていなければならない、そして、それよりもまず、自分が何の為にそれをしているのか理解していなければならない、在りものを模倣するだけなら容易いことだ、オリジナリティーというのは、それまでのやり方を理解しつつ、そこにどれだけ自分だけのやり方を練り込むかということなのだ、最初から最後まで完全に自分だけのもの、だなんて、現代では不可能に近い、多種多様なスタイルが常に生まれている、何をどれだけ使うのか、巨大な道具箱の中からどれとどれを使ってどんなものを作るのか、一行ごとにその選択を行いながら指先を動かしている、分岐だらけの、おまけに正解もゴールも無いゲーム、初期のテレビゲームみたいに、死なない限りは永遠に続けることが出来る、ある意味でそれは、どんなこだわりも関係ない世界、リアルタイムである以外に重要なことなんてないのかもしれない、カードを切るように、コインをベットするように、割に合わないギャンブルは繰り返される、まったく、これが何なのか自分自身ですら正しく理解することは出来ない、だから尚更それは、また次の新しいフレーズへの欲望を呼び起こす、ジャンキーの禁断症状、綴らずにはいられなくなる、身体はそこにのめり込むことで、深層の情報を明るみに引き摺り出す、見慣れないフレーズだからって躊躇うことはない、それは生まれるべくして生まれて来た羅列、見慣れた言葉たちが見ることの出来ない階層の為に本来の意味を変える、言葉が常用的な意味から離れることが出来ないのであれば、詩などどこにもないのと同じことだ、言葉は入口に過ぎないことを忘れてはいけない、そこからどんな意味にも飛べるように、あらゆる方向に向けられたカタパルトに直感で乗っかれるように、言葉を使ってどんなことを語ろうとしているのか認識しておいた方がいい、それは、常に書き続けていれば朧気には見えて来る、そして、朧気以上に突き止めてはならない、それ以上特定してしまうと、それは世界の端に設えられる壁になる、獣は壁の内側には居ないものだ、いつの、どんな時代だって、必ず、ベルベッドにくるまれた骨の身元は誰も知らない、でもみんなそいつの曲線にいつか抱いた思いを思い出すはずだ、いつの間にか小さな世界はすっかり夕暮れに染め上げられ、生きとし生けるものどもを迷子のような心持にさせる、ノスタルジーなんて幻みたいなものさ、でも誰もそこからは逃げられないんだ、世界の本質を突き付けられる度にどこか後ろめたい気持ちになるのは、萎んだ本能が胸の奥ですすり泣くせいだ、ここから夜になるまでの間にいったい何が出来る?漫画でも読むかい、それとも小説にする?それとも何かしら脳味噌から引っ張り出して少し書いてみるかい、何をどんな風に語ることが出来ても、それでそいつ自身の価値が上がるわけじゃない、結局のところ、そんなお前は何が書けるんだっていう話になる、知識で理論武装した話なんか何の興味もない、生身の話をしたいから表現に手を染めた、いろいろな書き方を試してみた、こだわりが無くなって来てからは、ずっと、あらゆる道筋は一本の道になりつつある、頼道をしなければ道の本質は見えてこないものさ、どんな言葉を書くことが出来ても、どんな熱情を語ることが出来ても、自分自身が空っぽなら虚しく反響するだけさ、夕暮れは終わり始めている、そして俺はいま書きかけているものについて考える、生きて来た分の蓄積がまとめて頭の中を駆け巡る、数十年分の詩篇の続きをずっと書き続けている、長い長いたったひとつの詩さ、それは俺がくたばるときに初めて完結する、そして二度と始まることは無い、もしそんな時が来たら、あんた、その先を引き受けてくれるかい?