ぼくの浄化聖戦
天使るび(静けさが恋しい)
自害よきことに重点を置く宗教的倫理観は目立つものになり得ない。この国の医療により生きているだけのぼくのリアルなのだからシステム化された命のあり方をわざわざ償いへと置き換える必要もないのだ。
「自殺について」
衝動と錯乱はとてつもなく仲良しな印象だ。悩みはいつでも上の空。根拠のない片想いと似た自尊心の渦のなかで求めるものが小我でしかないのならば心が生き返るまで禁欲を貫くことでうちなる皮を剥ぐことだ。
生ぬるいだけの自殺はやめたほうがいい。一見すると病死ともいえるところまで自らの健康を追いやることができるのであれば安心して旅する決意を固めるといい。
安楽死を合法的に認めている国にゆかない限り自殺という手段は個人的にもおすすめできない。
加速している宇宙開発のムードのなかで未来に於いての自らの分身を守るべきこともいまを生きているぼくたちに責任が問われているのではないのだろうか。
罪が発掘されたらどうする。自殺という罪のために複製された遺伝因子の分身たちが囚われるのは嫌だろう。自害よきことに重点を置く宇宙開発の先進国とならない限りこの国で自殺するのはやめたほうがいい。
例えばのお話だよ。のちの未来に監獄の惑星が設けられる可能性もあるしね。ヒトは本来とても邪悪なものだよ。
ミルグラム実験の一例のように見ず知らずの権力が与えられるとしたならば人間は簡単に悪魔の正体を晒すことだろう。
生き永らえることにより鈍麻化した感性に刺激を与える行為にも飽きてしまえば少ない指示で人工知能を動かすこともありそうだ。そのときヒトはかれらに鬼の役割りを与えることだろう。
「ヨハネの黙示録 9:6」をお読みいただきたい。自殺もできない苦しみという描写に背筋が凍る思いだ。
しかと罪を背負って生きよう。あなたの命は尊い。生きることは罪ゆえだ。されどもあなたは選ばれた。あなたの命を刹那に殺さないで。
いつかいつかの空想的な未来の予想が外れますように。そのためには絶滅しか残されていないのかもしれない。
ぼくたちの浄化聖戦を生きよう。怖がることはないのだ。あなたの命は照らされているよ。どうか自殺しないでね。ハッピーエンディングはすぐそこ。