フルーツ・ツリーで待ち合わせ
天使るび(静けさが恋しい)
+
腕を殴りながら歩いて泣けて駆け足でお部屋までたどり着いたよ。打撲の痕は熱を帯びて浅く痛む。腫れた感じの目蓋と似た温もりに安堵する。
歯切れのよい殺意を抱きながら特定の対象についての個性を少しずつ思い出せないことに気づく。
誰もいない暗闇のなかで自分の影に向かって石ころを投げているような気分だ。
日暮れどきにいつまでも自分の影とお遊びしようとして泣いたっけ。ぼくに踏みつけられた影は決してぼくを加害しないけれども肉体の居残るうちはずっとついてくるのだろうな。
大好きなおじいちゃんの遺体の前でぼうぼうに泣いたこと。親族に仲間がいないから動かないおじいちゃんにぼくは縋りついていた。
それでもおじいちゃんどこにもいなかったよ。おじいちゃんの遺体はすでにおじいちゃんではなかった。おじいちゃんの形をして見えていたものは心だったのかな。
ぼくは泣きながらおじいちゃんのどこにもいない世界を生きている。赤十字病院まで通院した後にお家にお帰りして洗面所の前でおじいちゃんは倒れたの。洗面台に当たって入れ歯が床に飛んでいったらしい。
見事なおじいちゃん。おじいちゃんのお形見の腕時計を手のひらにつけている。バンドの調整をしても脆弱な細さのぼくの手首には緩かった。
ムーブメントの部分を握りしめているとおじいちゃんと手を繋いでいるみたいだ。いまもソーラーパネルで鋭敏に生きているおじいちゃん。
大切な想い出がある。祖父母のお家にご挨拶にいっておばあちゃんがぼくにいつまでもお茶を出さないことに痺れを効かせたおじいちゃん。「ばあ何で出さんのぢゃ。じいちゃんが作ったる!」
おじいちゃん特製のカルピスは多分に水と1:1。泣きながらカルピスを飲んだ。叔父さんのお家からお帰りしてきたオトウサンを見るとぼくのくちから言葉にならない悲鳴が起きた。
車へと押し込まれたぼくをオトウサンは叱りつけたけれどもおばあちゃんはオトウサンのお仕事の悪口をいっていたのだよ。
「お前が悪い」そうなのか。いぢめられていたことを打ち明けたときにもいわれていたな。「お前が悪い」
そうなのだ。
いつものように車の前まで来てくれたおじいちゃん。おじいちゃんの目が心配そうに潤んでいた。
おじいちゃんも自閉症だったのだ。生まれつき多くのものを忘れてきたこと間違いぢゃないよ。おじいちゃんには才能がある。心という才能がある。
いつでも同じ出立ちで変わらない態度の飾らない優しさ。それを素朴というのだ。おじいちゃんは召されたのだろう。見事な死にかたでしたねって祝福をお受けなのだ。
人間に興味ない。腫れた感じの殺意は柘榴のように裂けてゆく。寂しがり屋の宝石の光る果実たちの楽園でたったひとりのぼくが裸でいるようだ。
孤独ってどこにあるの。空間的な隔たりがあるだけで命の息吹きはすぐそばにいてくれる。腸内細菌や原子を含むと寂しいという言葉の意味も見えなくなるくらいだよ。賑やかな祭りの商店街の真っ昼間の噴水のそばでお眠りしている気分だよ。
あれ。周りのみなさまも勢揃いに裸です。個人主義と俗物個性の唯物論の衣服を一斉に脱ぎたまえ諸君!
あれ。何もない。剥きすぎた玉ねぎみたいに消えちゃった。
重ね着しても見える心になろうよな。玉ねぎ消したら影もない。マジックアワーに逝こうよな。
自閉症がギフトって本当だ。どうか怒らないで。見ているふりをしないで。ぼくなんてどこにもいない。おじいちゃんのお形見の心がぼくなのです。
+