日記(思うこと)
由比良 倖

11月20日(水)、
 僕は、父と母に仲良くしていて欲しい。この世にひとつでも笑顔を増やせるなら、僕もその為に生きられるかもしれない。僕はもう、まるで自分のことしか考えずに生きてきた。自分ばかりが不幸だと思ってきた。でも、父は僕をいまだに信じてくれている。母は僕の寝言みたいな暗い話を、いつも辛抱強く聞いてくれる。自分のことより、僕のことばかり心配してくれる友人や、生きていて欲しいと言ってくれる人がいる。何故気付かなかったんだろう、ってびっくりするくらい、僕は多くの人に助けられて今まで生きてこられた。
 確かに僕はめげかけている。疲れている。でも、僕は他にも、大好きな音楽があるし、大好きな絵を描いてくれるイラストレーターの人たち、たくさんの本、それだけじゃなくて、この社会を作ってくれた、いろんなものを作ってもくれた、いろいろな人たち、そして何故か僕を生き長らえさせてくれる世界、そして僕の身体、……それら全てを無かったことにして、勝手に孤立を深めて死ぬのは、あまりにも自分勝手というか、何にも見てないよな、と今朝起きてすぐ思った。

 不安と恐怖に負けそうなんだ。「感謝の心を持ちましょう」なんて文言を読むと、その度に、僕をこんなに苦しめる世界に、どうやって感謝すればいいんだ、と反射的に反抗心を持ってしまう。今でも「感謝なんてな」胡散臭い言葉だよな、と思ってしまう。
 けどやっぱり僕はこの世界が好きだ。ろくでもない僕だし、しんどくて、もう嫌だ、とばかり思っているけれど、自己嫌悪はしても、僕以外の何もかもを嫌いになんてなれない。素晴らしいものもいっぱいある。美しいものもたくさん。仮に死ぬとしても、ひとつだけ、僕がこの世界を否定して死んだとは、誰にも思って欲しくない。

 昨夜、父に「僕は父さんのおかげで生きてこられた。父さんが僕を見捨てずにいてくれて、ずっと僕を信じてくれているから」と言ったら、父はひと言だけ「そりゃそうだ」と何でもないみたいに答えてくれただけだった。数年前に、僕が衰弱して、両親の前で倒れたとき、母は慌ててただけだったけれど、父は即座に僕の心拍を確かめて、息をしてないからと人工呼吸をしてくれた。父は僕の血液検査の結果を見ては、この数値が高いの低いのとうるさいし、ほっといてくれと思っていたけれど、確かに僕の身体を、僕よりずっと強く心配してくれている。僕は自分の身体なんてぼろぼろになって死ねばいいと思っていたのだけど。
 でも父は、母にあれこれと指図するのに、母にねぎらいの言葉も、お礼も一切言わない。どちらかが死ぬときになってでは遅いのだと思う。言わなきゃ分からない。死ぬときになってお礼を言ったり(言う時間があればまだいい)、相手が死んでからでは遅いんだよ、と思う。
 昨日も母は、父が書くはずの面倒な書類を代わりに書いて、父の腕時計を直しに時計屋に行き、父が夜寒いからと言うので毛布と布団を乾燥機にかけ、父がご飯と言えば全部用意して、上着が無いから寒いと言えば二階まで取りに行き、それで父が言った言葉と言えば、腕時計の汚れが全部取れてないだの、昨日は寒くて寝られなかっただの、寝不足のせいで仕事がしんどかっただの、もっと美味しいものが食べたいだの、書類は不備が無いか、ちゃんと確かめたか、だの、本当にそんなことばかりだ。
 だから僕は「何かをしてくれたら、ありがとう、だよ」と言っても、「ああ、助かった」のひと言だけだ。あんまりだと思う。言葉は愚痴や指図や文句の為にあるんじゃない。気恥ずかしくたって、お礼は言った方がずっといい。ただ少し、ありがとう、って付け足すだけでいいんだ。何の為の言葉だよ、ちゃんと言えよ、って思う。

 僕はたしか十三歳になったばかりの頃から精神科に通っていて、生半可な病気ではなかったと思うし、ずっとずっと自殺したいと思いながら生きてきた。多分、誰が悪いという訳でもなかったのだと思う。「悪い」ってどういうことか、考えてみるとよく分からないしね。僕は今からの自分をどうにかするしかない。

 今日は何故か、少しうまく行きそうな気がしてるんだ。



11月21日(木)、
 いつから、自分のことを駄目だ駄目だと思い続けていたのだろう? 完全に自分を投げ出していた。もっと傲慢なくらい、誇大妄想的と言われるくらい、自分をすごいと思っていたって別にいいはず。昔はそう思っていた。トム・ヨークと会ったら何を話そうかな?、とか当たり前のように考えていた。いつから僕は、トム・ヨークやジャック・ホワイトと僕では住む世界が違う、なんて考え始めたのだろう? 身の程をわきまえた? どうして僕が僕の身の程を小さく見積もらないといけない? 同じ地球上に住む同じ人間に憧れて、いつか話せたらな、と思うことがそんなに非現実的なこと? なーんにも出来ないと思い込んでしまっていた。それは、うん、今も怖いし、不安でもある。でも、少し考え違いをしていた。僕がすごいというか、みんなすごいんだよね。本当にすごいのに、生きてるだけでべらぼうにすごいのに、全然すごくないと思い込んでる。
 生きることは苦しい。経験的に。でも、苦しくなければいけない理由なんて無い。

 僕は父に怯えていると思う。常に父の機嫌を伺っているし、父を落胆させているのではないかと気になってしまう。いくら、「大丈夫だ、僕はすごい」と思い込もうとしても、いい歳して僕は怯えた子供のままだ。父はよくお金の話をする。その度に、僕は父から多大な借金をしているような気がする。返済の宛てもない。僕がお金を稼げるようになるまで、この怯えは続くのだろうか? 何か、父の期待に応えなければいけないような気がする。「この家に住んでいるけど、僕は僕の好きなようにやる」と、多分、そんなに堂々と言える日は来ないような。夕食の時間が、毎日怖い。

 父に「死ね」と言われたことは一度も無い。気狂いだとか病気だとか病気に甘えるなとか、いろいろ数え切れないくらい言われたけれど、父も戸惑っていたことは分かる。僕も、僕の状態を、正確には表現出来なかったし、多分、本心を話したことは無い。それに、僕も、おそらく父の言葉に、あまり傷付いていない。そんな言葉は僕の表面を通り過ぎて行く。負い目なのかな? 父は毎日働いているのに、僕はその間ごろごろしてたり、母の前では強がっていたりしてて、でも、心はいっときも安まらない。いっそ、父が分かりやすく悪い人なら、僕も父なんか知らん、と言える。多分。でも、これって、「この人は悪い人じゃない。寂しがり屋なだけ」とか言って、心の通い合わない夫婦生活を続けている人、もしかしたら例えば母の気持ちにも似ているのかな?
 でも、思う。僕はもう少し自分を貫いていいと思う。だって、僕にはきちんと好きなものがある。好きな人がいる。なりたい自分についても考え始めた。父を表面的には裏切るかもしれない。今、僕は自室にいる。今くらい、父なんか無視したっていいんじゃないか? そして、早い内にきちんと「僕は父さんの思い通りにはならない。でも、僕は立ち直ろうと思う」と言うべきなんじゃないか? 今この瞬間の怯えを、薬以外で抑える方法を教えてくれよ、と思う。誰かに手を引いて欲しい。でも、これは僕の問題だ。今僕は父に囚われているのではなく、自分で自分を縛っている。僕は僕の弱さを父のせいにして、自分から目を背けてて、そう考えると、父の方がとばっちりを受けてるんじゃないのか? 実際、今現在、父は一階にいて、どう考えても今ここにいる僕を縛ってなんかいないのだから。

 僕の弱さ。それは多分、僕自身が纏っている自己イメージと、元々の僕の間に、かなりの齟齬があることを、あまり見たくないことだと思う。僕は多分、ずーっと昔から、いい人で他人思いである人間を演じてきたと思う。でも、そんな上っ面が嘘だってことは、かなり明確に分かっている。僕はきっと、いい人じゃない。他人のことなんか知らねえよ、と思っているかもしれない。でも、そんな自分を晒したら孤立する。多分、嫌われる。本来の自分が出てきたと感じたら、取り繕うのに必死だ。僕は父のことを思ってるから、父のことを見捨てられない人間だから、期待に応えられないから、だからこんなに苦しいんだ、と思っていられたら、それは楽だよね。何もしないことの理由が出来て。でも、それは嘘だよね、本当は僕は他人のことなんか、さくっと切れる人間なんじゃない?、と思うと、すぐに動揺してしまう。結局は自分の都合しか考えていないじゃないか、と思う。
 最後まで怖い怖いと言って、何かしら優しいっぽい人の振りをして死ぬんなら、勝手にすれば、と思う。僕は多分、いい人じゃないと思う。その癖人とは関わりたい、寂しい。ただそれだけだ、と認めればいいのに。
 僕は人から愛されるに足る人間? 感情が稀薄? 今、泣きたい気持ちなのは何故?

 これから、考えなければならないことが、きっと沢山ある。行動しなきゃならないことも。無茶と自棄だけは起こさないこと。取り返しの付かない勘違いで先走らないこと。この怖れは、逃れられない最終局面なんかじゃない。とにかく、バッドエンドなんかで、自分を終わらせてやったりしない。


散文(批評随筆小説等) 日記(思うこと) Copyright 由比良 倖 2024-11-22 01:12:19
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