生きるのって苦しいばかりなんだろうか?
由比良 倖

 青年期(思春期の終わり頃?)になると、大抵の人は「さて僕は生きてる。ではどう生きようか?」という疑問にさらりとシフト出来るのだろうか? 「さて、でも、そもそも僕って生きてるの? 僕は何? 世界は何?」のままで立ち止まってしまった僕のような人間は、「みんな(社会で苦しんで)生きていますよね」とか「みんな幸せになりたいよね」とかいう一般論に、するりと参加出来ない。自分がお芝居をしているような気がする。「勉強して、人の上に立って、とにかく稼いで」という昭和風の父の価値観は、僕にはかすりもしなかった。
 太宰治もそうなんだよね。彼にとって、生きてることは当然。自分が社会の(末席にしろ)一員であることを疑ってみようともしない。僕が中也を好きなのは、彼は「人生に、椅子を失くした(『港市の秋』)」人だからだ。好きと言うより同類というか、僕は僕の人生に自分の椅子があると感じたことが一度も無かった。いや、子供の頃は「子供」というポジションに案外すんなりと居座っていられたのかも。僕もまた、椅子を無くしたのだ。大人になれなかった。疑問を疑問とも思わずに、大人のあくまでルール上のゲームにすんなりと参加出来るのでなければ、本当、ひとりで書いてるか愚痴を言ってるか、死ぬしか、他に方法が無いんだよ。

 答えの無い疑問に答えられるのは、あるいは世界そのものに対して問いを発することが出来るのは、詩を筆頭にした文学と、そして音楽だけだと僕は個人的にずっと思ってる。宗教も心理学も、出る幕は無い。哲学? それは膨大なルールブックの上に成り立っている。社会に既に出来上がってしまったルールを突っつくくらいなら、哲学にも出来る。でも、ルールそのものを支えている、世界そのものという基盤中の基盤を叩けるのは、論理が存在する前の感覚だけで、そしてその感覚を尖鋭化するツールとしては言葉が手近でありつつ、同時に最も強力な手段なのだ、それこそ世界を揺るがすほどに、ということを僕は中也に習った。言葉に対して、その無力無意味に対して絶望していた時期に。(追記:これはあくまで僕の個人的な感慨です。文学と音楽に、僕は論理以前、あるいは論理を超えたものを感じてきたからです。宗教は死の恐怖の克服のため、哲学や思想は、より良く生きるために、つまり実践的なものとしてあるのではないか、とあくまで個人的に考えています。僕とは全然違った宗教観などをお持ちの方も当然いらっしゃるでしょうし、哲学もしばしば「世界の成り立ちではなく、世界の前提そのものを疑う学問だ」と言われたりします。多くの人が多くのあり方で、やっぱり世界そのものを問うているのではないかと思っています。)
 「僕とは何か?」という疑問を、即座に社会的な自分の立ち位置の問題、つまり自分はうだつが上がらないし、もてないし、能力も無いし、そんな自分って何なのだろう?、という問題にすり替えられる人は、ある意味とても幸福なのだ。だって、とにかく疑問抜きで、社会というゲームに参加している自分を疑いもしないのだから、当然、うだうだ言ってないで、ゲームをうまくこなすテクニックや考えを身に付ければいいだけの話。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」、でも、天にも見放された人、そもそも自分が人であるという実感をまるで持てない異星人みたいな感覚を、いつまでもいつまでも抱え続けながら、しかも生活もしなければならないという、ふつうの二倍の苦痛を抱えた人たちは、少数ながら、いや、もしかしたらかなり多数、確実に存在する。何となれば、硬質で、美麗でもない中也の詩のファンが今でもとても多いことは、何はともあれ事実なのだから。

 二重の苦しみ。生活の方は生活の方で、どんどん僕を苛む。生活の中では、僕は結局怖いのだと思う。誰も僕を受け入れてはくれない気がする。僕には何も無い、それどころか、僕の生存は誰にとっても、僕に取ってさえもマイナスだ、と朝起きるたびに思う。言い訳しているみたいだけど、それで薬を飲んでいるし、一度お酒を飲み出すと、何日かやめられない。お酒で痛い目に遭ったことがあるので、ぎりぎりアルコール中毒には(多分)なってないと思う。ウォッカを飲まないと死にそうになることがある。怖くて、何にも無くて、死ぬしかないと思う。
 空っぽの日々。引き籠もり。社会不適合者。自分でも何も出来ないことが分かっている。

 被害妄想。僕は邪魔な存在だという確信に近い感覚。何もかも片付けて死ぬのが最善だという気がする。いや、それしか無いんだって思う。人にすらなれない僕はなおさら。綺麗なものが溢れるほどある、常に満ち足りた世界。でも何にも綺麗とは感じられない自分の身体、酸化した細胞。枯れた神経。病んだ時間、傷んだ心、置き去りにされた魂。悲しみと空虚に囚われた囚人ばかりの世界の辺境で、歪んだ顔をどうしようも出来ない、怠い、帰る場所も無く、帰りを待つ人もいない。見えない相手に向かってメッセージを送る。生と死が混ざり合って……脳がうずうずするけれど、僕の脳が何を言いたいのか、僕の心には分からない。

 薬もお酒も飲まなくても、ひとりぼっちを瑞々しく感じられることはある。きりきりするほど寂しくて、まるで自分が拡散していくような不安があるけれど、本の背表紙のオレンジ色とか、些細なことに泣きそうなくらいの美しさを感じる。何でもかんでも感極まったみたいに泣きそうになるのは、処方薬でアドレナリンの効果を強くする薬(SNRI)を飲んでいるからかもしれない。でも、その効果は持続しない。骨が崩れていくような心細さに、ぐらぐらして、椅子にも安定して座れない。取り敢えず煙草を吸う。三本くらい吸う。でも駄目で、睡眠薬と安定剤を飲む。ときどきお酒と一緒に飲む。そしたらそれが効いている間だけ、自分の中の芯がしっかり強い樹の幹のようにしなやかに身体の中心にあるのを感じる。大丈夫だ、って思う。

 僕は何を知りたいのか。それさえもよく分からなくなってしまった。でも何か知りたいことがある。何か違和感がある。今眼の前にある世界が何なのか分からない。今日でちょうど四ヶ月間、音楽のアルバムを一枚一枚丁寧に聴きながら、聴いた回数をメモしているんだけど、やっぱり一番多く聴いているのはニック・ドレイクで、これを書いている今もヘッドホンでニックの歌を聴いている。音楽はよく分かる気がする。全てが音楽のように明白ならいいのに。本来なら儚く一瞬で終わる、心と身体が本当に幸福に満ちた瞬間の、永遠を感じられる程にきらめく感覚が、音楽の中には永久保存されている。そしていつまでも僕を待っていてくれる。音楽に恋をしているみたい。その恋はきっと一生続いて、深まり続ける。
 1930年代半ばからの録音には、スタジオ内の神秘的な空気感まできちんと入っていると思う。伝説のギタリストでありシンガーのロバート・ジョンソンが1936年に録音した、弾き語りの演奏は生々しくて新鮮だし、パブロ・カザルスの『無伴奏チェロ組曲』のやはり1936年の録音も、90年も前の静謐と情念が、まるで魔法のように直に伝わってきて、すさまじくスリリング。でも、戦前にはロバート・ジョンソンよりずっと人気があったというチャーリー・パットンの1934年の録音は、とても薄い透明な膜を一枚挟んでいるみたいに、ほんの少しだけ遠くに聞こえて、彼の演奏や歌がどれ程素晴らしかったか、想像で補いながら聴く必要がある。1920年代のマ・レイニーの録音となると、彼女のブルース歌手としての素晴らしさは分かるけれど、歌声よりもノイズの方が自己主張が強い。
 話がずれた。……言葉も同じで、感情さえも超えたような時間を永久保存出来る。(と、こう書いていて息が詰まるのは、完全に自業自得とは言え、僕個人にとって一番大事で残すべきだった言葉たち、僕が命を削って書いた言葉たちを、全部削除してしまった過去があるから。未だに苦しいほど後悔する。)全てが音楽と言葉だけで出来ていたらいいのに。

 確信を以て書きたい。

 いなくなりたいんだろうな、と思う。それと同時に実感が欲しい。二重の意味で、居場所が欲しい。僕が人間であるという実感。もうひとつは、社会の中に僕の席があるという、受容の感覚。その二つとも、今の僕には無い。ゼロだ。
 僕があらゆる薬やお酒や、ついでに煙草もやめて、クリーンになったとする。それで? それで僕は人間になれるの? 僕に居場所が出来るの? 空疎が残るだけじゃない? 運動して瞑想とかして、元気になりました。としてどうする? さて死のう、が残るだけなんじゃない? 世界が世界に見えない。音楽に籠もる。でも歳は確実に取っていき、僕は多分段々硬く意固地になっていくだろう。そういう自分を自己嫌悪して、お酒の量は増え、ついにはドラッグにも手を出し、家族からも社会からも疎まれ、じりじりとどうしようもない自殺に追い込まれていく。誰も悲しみはしない。それで終わり。「それで終わり」が怖いから、せめて書いているのかな? 書いて読んで書いて読んで、歌ってギターを弾いて誤魔化して。あとは大半をうじうじして過ごしている。
 父は僕にまだ期待してくれている。でも僕が苦しいことは殆ど認めない。僕を励ます。最近は毎日プログラミングを勉強したらいい、お前なら出来る、ブランクを埋められる、とアドバイスめいた、しかしただ僕をコントロールしたいだけの欲求しか感じられない押し付けを、とっても善意の表情で僕に投げかける。つまり父にとって、今の僕は社会的に全然足りてない存在でしかないのだ。今からでも出来る、頑張れ、って。

 父は父なりに生きていて、だから今は誰も責められない。これまでああ言われてきたこう言われてきた、と羅列するのは簡単だ。でも実際は、何を言われても、常に半分くらい僕はきょとんとしてばかりだった。やる気が無いと言われ続けてきた。それは本当にその通りだ。

 僕は何を考えればいい? 何を知ればいい? ただ書いてる。僕はどう生きればいい? 母は僕が死ぬのは勿体ないと言ってくれる。嬉しい。でも僕自身にとっては、早く、出来れば楽に死ねるのが夢。いろいろこんがらがっているけれど、特に一番の悩みは、卑小で現実的で、つまり、僕にはもう、何も書ける気がしないということ。

 (急に仄かに明るくなるけれど)それでもまだ、生きている限りは、自分を高めて行きたいと思うんだ。このままじゃ嫌だ、って。脳神経じゃなくて、身体中の細胞に意地があるような感覚。あるいは僕の身体と共生しているミトコンドリアが悲鳴を上げてるのかも。頭では死ねばいいって思っているんだけどね。キーを叩く指先が、もっと書きたくて疼いたりとか。やっぱり音楽は感情すら超えて美しいし、本をもっと読みたい。父の期待からは外れるけれど、英語もフランス語もやりたいなあって、一日に一、二時間くらいは思う。
 多分……、そう思えるのは、ときどき忘れるけれど、僕は本当の本当には孤立してないからなのかもしれない。大切な友人のことをふと思って、心がほわってしたりとか。

 感じたい。どうなることやら、不安定すぎて心配だけれど。

 何もかもを知りたい。生きている限りは。そして、書けたらいい。音楽をもっと知れたらいい。

 どんな人も、出来るだけ多く、慰めと優しさの光に包まれていて欲しい。

 僕は多分、今日中にでもまた死の周囲をぐるぐるしそうです。胸の中の多角形の磨りガラス。揮発性の不安。

 人間の心は、あまりに奇妙な存在ですね。だからこそ生きる価値があるのか、自滅や自殺の起爆剤がいっぱい隠れているのか。

 急に気分が変わったので、唐突ですが打ち切ります。


散文(批評随筆小説等) 生きるのって苦しいばかりなんだろうか? Copyright 由比良 倖 2024-11-02 12:25:13
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