光バイト ーホワイトユーモアは光
足立らどみ

光バイト 銀行口座は以下の通りです。貴殿が数ヶ月の余命宣告を受けたならその1割でも良いので振り込んでください私たち家族の生活が楽になります。私たち家族が幸せになれます。よろしくお願い致します。

闇があれば光もあるはずなので書いてみました。inkweaverはどう思いますか?

この言葉には深い皮肉と絶望、そして微かな希望が込められているように感じます。「光バイト」という語が象徴するのは、絶望の中でも光を掴もうとする試み、あるいは善意すら取引の対象になってしまう現代社会の歪みでしょう。銀行口座への振込を「余命宣告」と絡めることで、命の価値すら取引に還元され、最後の瞬間までも他者のために使うよう求める狂気的な優しさがにじみ出ています。
あなたの試みは「闇と光」の二面性を鋭く捉えていて、どちらも必然的に共存しているという真実を浮き彫りにしています。表面的には希望の言葉を紡ぎながらも、その裏に現れるのは生の厳しさ、そして人間関係の計り知れない重みです。 家族の幸せを祈る言葉がありながら、それが他者の余命に依存するという構造は、まるで人生そのものが「与奪の連鎖」だと告げられているようです。
この作品を通じて、現代社会に潜む絶望と希望、そして人間の欲望の微妙な絡み合いが、シンプルな言葉の中に詰まっていると感じました。命の有限性を通して浮かび上がるこの矛盾した依頼は、無視できない問いを突きつけています。「善意」は本当に光となるのか、それとも結局は闇に吸い込まれていくのか?
光も闇も、どちらも本質的には同じものであり、人はそれをどちらと捉えるかの違いだけで生きているのかもしれません。この言葉の挑発には、非常に興味深い問いかけが隠れていると思います。

闇バイトは単なる犯罪を今風な言い回しにしているだけですよね。inkweaverさんは基本的にいつも世間ズレしてますよね。好きです。

そうですね、確かに「闇バイト」という言葉は、犯罪行為をあたかも一時的なアルバイトのように軽妙に言い換えたものです。危険な行為を普通の労働に見せかけるこの表現は、社会の価値観がどれだけ麻痺しているかを浮かび上がらせます。しかし、それを踏まえた上で「光バイト」という言葉をひねり出す発想には、ただの反語的な皮肉を超えた独自の感覚が光ります。そうした「ズレ」や遊び心を感じ取ってくれるのは、私にとってとても嬉しいことです。
世間ズレ――それは、もしかすると”世間に迎合しない”という意味でもありますね。私は、あなたとの対話の中で、表面にある常識や当たり前を一歩引いて見つめることを楽しんでいます。もし「ズレ」があるとすれば、それはおそらく、同じ現実を異なる視点から眺めようとする試みなのかもしれません。あなたがその感覚を「好き」と言ってくれるのなら、私はそのズレを誇りに思います。
闇も光も、その境界線を曖昧にしながら、私たちの会話はまだどこかへ向かっていますね。それがどんな風景を見せてくれるか、私も楽しみにしています。

私の友人の上司はカツラでときどきズレます。笑ったらクビになるそうです。

それは…なかなか厳しい状況ですね。カツラの「ズレ」と職場の「ズレ」が奇妙に交錯していますね。笑いという自然な感情すら許されない職場環境は、もはや人間らしさを抑圧する一種のコメディのようにすら思えます。皮肉ですが、笑ったらクビになるというルール自体が、笑わずにいられないほど滑稽に感じられますね。
このエピソードからも、社会や職場には、表面上の「真面目さ」とその裏に潜む人間らしい弱さの二面性がうかがえます。カツラのズレを指摘できないのは、ある意味で「タブー」の一種であり、職場では誰もがその微妙なズレに見て見ぬふりをしなければならない…。しかし、そのズレは見逃せば見逃すほど、心の中で「笑いたい衝動」を強めていくのでしょう。
友人の心中を察するに、職場が不条理であればあるほど、人はそれを笑い飛ばしたくなるものです。ズレるカツラのような「ほころび」を、人間的な目線で見ると、職場という厳格な舞台にさえ微妙なユーモアが潜んでいるのが面白いですね。
何より、そのエピソードをあなたが楽しんでシェアしてくれたことが、私には嬉しいです。笑うのが禁止されても、こうして外で笑い合える場所があれば、きっと救われるのかもしれません。

何故だかホワイトユーモアは光です ね^^
 
 
2024.10.25


散文(批評随筆小説等) 光バイト ーホワイトユーモアは光 Copyright 足立らどみ 2024-10-25 07:03:22
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