弁償Ⅱ
森 真察人


僕は確かに、あなたを愛しています。
──あなたはそのような歩行を、発言を、落涙らくるいをしないはずです。
僕は、一体、あなたの何を愛しているのでしょうか。

やわらかな抱擁ほうようの不在が香ります、うつろな瞳孔や足音から。
正しい論理の消失が見えます、大きなひらがなや駄駄から。
口笛の無音がきこえます、痺れた笑顔や退屈から。
それらの中に間違いなく、僕の愛が沁み透っていた筈なのです。もろとも消えてしまったのでしょうか。

僕の愛するあなたが消えてしまったのなら、僕の愛しているあなたは、何なのでしょうか──。


あなたを全くうしなったと思われた翌朝に、僕が真先まっさきに想起したのは、かの少女の黒髪とやさしい理知でありました。かの少女のまったき喪失にもかかわらず、僕はいやしくも街行まちゆく少女たちに彼女のまぼろしを見ては、鳩尾みぞおちを凍らせずにはおれません。

そうです。うちの猫もかわり果てました。あの若々しい跳躍も、聞き分けのよい鳴き声も今は無いのです。しかし僕は彼を彼女と同じように愛していると、神に懸けて、確信できるのです。

ああ すべて変ります。喪われます。やがて、忘れられます。
だのに僕はどうして、本当に、人を愛せましょう。 


る朝のことでありました。僕は雲の輪郭を追っておりました。追いきれませんでした。輪郭の中に輪郭があり、その中にまた輪郭がありましたゆえ。

或る昼のことでありました。僕は木枝の先を追っておりました。追いきれませんでした。枝は分かれた先で分かれた枝を成し、その先でまた分かれておりましたゆえ。

或る夜のことでありました。僕はあなたを追っておりました。追いきれませんでした。あなたとの愛しい思い出の内に愛しい思い出があり、その内にまた愛しい思い出がありましたゆえ。

勿論もちろん、いまのあなたも追いました。同じことでした。あなたとの時間の内には、無限の愛しい時間があるのみでありました。

その無限の、極限の彼方のその向こうに、僕の愛するかのそのものが、あるのでしょう。


自由詩 弁償Ⅱ Copyright 森 真察人 2024-10-07 13:26:25
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