ブライアンウイルソンの詩
鏡文志
ブライアンウイルソンは、百姓がにんじんや大根と対話するように、音楽と対話していた。
ピアノを柔道のように演奏するピアニストがいる。
ピアノをポップソングを作るために、演奏するピアニストがいる。
彼は、ピアノを大工が鉋で削るように演奏した。
自らのビジョンを追い求めるために利用する第二の女。それが彼にとっての、ピアノだった。
内気な性格と真逆に、彼はヒップ(※)な言葉を好んだ。
彼のピアノは、サーフした。
彼のピアノは、ブレイクした。
それは、夜の静寂で寄せ返す思いを描写した、一遍の詩のようであった。
瞑想は彼に意味を持たなかった。
集中(コンセントレーション)は、彼にとってプレイの中にあったから。
コカコーラやマクドナルドのために、闘っていたんじゃない。
彼は泳ぎたかった。音楽の中で、魚になりたかったんだ。
彼の音楽はフィッシュした後、チップスした。
つまり、充分な泳ぎと脚力が認められ、フライになった後、ポテトになり、パーティの席で崇められたってことさ。
※ 60年代に米国で流行った言葉で、『イカした』のような意味合いで使われた。