午後からの雨
山人

 朝からむっとした湿度を感じていた。汗が出るか出ないかの瀬戸際の不快感と、速乾性のフィットした肌着が体に食いつき、不快感の相乗効果を呈していた。
 昨日、家業は妻に頼み、登山道除草の三つ目の山域にかかっていた。八日目である。
 三連休の初日は天気予報も悪くなく、登山者がどんどん私を追い越し、ねぎらいの言葉を投げかけてくれる。それに励まされるように作業を進めるが、機械の不具合にな悩まされ、腕の疲労が尋常ではなかった。疲れては休み、休んでは刃のメンテナンスを行い、朝の五時半から開始したのにすぐ十一時になってしまった。目的地まで作業し終えたのは午後三時だった。下手をすると午後四時近くになるかもしれないと思っていたのだが、なんとか三時に終わった。
 標高一五〇〇超の目的地はヌマガヤに覆われ、その間隙にイワショウブとリンドウが開花していた。初秋に花をつける植物だが、以降山には花らしい花は無くなる。
 午後三時ともなれば登山者は皆無だ。ドライフルーツと水を軽く胃に流し込み、刃のメンテナンスを入念に行った。メンテナンスが終わる頃、エンジンは程よく冷め、覆いをして山を後にした。
 最近、下りは言葉を発しなくなった。以前は何かと独り言を言いながら下山するのだが、最近は寡黙になった。たぶんそれは、独り言を言ってもなんの得にもならないということが痛いほどわかってきたのであろうか。どれだけ自分を正当化したとしても、他者からの評価は変わることが無い。そうした時、次第に言葉は失われ、淡々と一歩づつ山道を下るという作業に徹する。山道は土だけの部分は少なく、大きな石の連続で、地形的には複雑だ。故に一歩づつ踏み外さぬよう、歩くことに集中しなければならない。一つの転倒が骨折に発展する場合も普通にあり得ることなのだ。
 車に着いたのは午後五時を回っていた。一応計画の十一日間のうち、八日が経過したということである。
 連休二日目の今日は悪天が予想されており、山の除草は回避し家業に専念することとしていたが、さほど仕事量は多いわけではなく、午前中は多々雑務をこなし、Aコープに足りない食品と自分が食する食糧を買いに出かけた。
 正午を回った頃から厨房に入り、床を掃き雑巾をかけた。厨房はフローリングだが、色んな食材の滓や調味料などが知らないうちに飛散し、意外に汚れる。汚れたままにしておくと厨房のみでなく、汚れが厨房以外にも広がってしまうので早めに拭き掃除をしないといけない。調理をする前にきれいにしておきたいと思うことがある。
 メニューは考えてはいるのだが、いざ仕込みを始めると実に面倒くさくなってしまい、もっとシンプルなおかずにしようという怠け心が出る。しかし、床の掃除を行った後というのは、手抜きを回避させる魔力があるのか、こと細かく仕込み作業を行った。
 一時を過ぎた頃、雨は良い降りになってきた。いつもは早めに引き上げてくる釣り客はまだ帰っていなく、少し心配になったが一時的に強く降ったのみで後は小雨になっていった。
 今日妻は友人と桃狩りに出かけた。狩りではなく買いに行ったのか。明日も小さな家業があり、私は山に除草に出かけることにしていたので妻と一日交代したのである。
 明日また私は山に行く。とても厭だ。薄暗い山道を分け入ってゆく私を想像する今、まだ雨は降っている。
 釣り客は五時半から飲み始めるという。なのでもう最終準備にかからなければならない。


散文(批評随筆小説等) 午後からの雨 Copyright 山人 2024-09-15 16:18:05
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