夕方の木漏れ日(水色の恍惚)
林 理仁
貴方(ここでは敢えて漢字で書かせて頂く。深い敬意を今以って込めて)を初めて見た時の憧憬は、絶望の闇に立ち尽くす私を一瞬で救い上げたのでした。
世界は常に私を忌み嫌い、神は私に何一つ真理の道しるべを与えないのでした。世界は私を嘲笑い、神はいとも簡単に私に暴力を振るうのでした。
この幼き私は、あまりにも独りぼっちで、誰よりも無力で、誰よりも叱られてばかりであり、優越感などというものは1mmも知らない哀れな少年でした。
貴方を見た時、そこには驚くほどの静寂がありました、まるで、悟りのようなものが、虎の様に、静かに私を食い尽くそうとするかのようでした。
朝の、そろそろ午後になる頃だったと思います、私は、あまりの衝撃で、常日頃の身を守る術を放棄するかの如く、一瞬で貴方に取り込まれたのです。
世界の無防備な私に対する攻撃は、その日から突然鳴り止み、世界は私を祝福したのでした。まるで、この日が来る為にあった、初めから、祝福のゴールの為にあった正しき闇に感じたのでした。
呼吸も、心の虚しさも楽になりました、人に言えない悩みも、身体の不調も楽になりました。まるでそこには、一瞬で理解できる、難問の愛がありました。
誰よりも幸せだ、幸福だ、幸福の極みでした。世界中の人に、今僕のこの瞬間を分け与えたいほどでした、まるでそこには永遠の愛があったのでした。
僕は、[独り]で(ここには深い意味がある、この過程の最中、僕は独りである)夕方の外を外出し、ひたすら歩いていました。
こんな美しい景色を見たことはありませんでした、公園を歩いてる最中、脇道から溢れ出す、夕方の木漏れ日があまりにも美しくて、この日の為に生きてきたと思いました。
その木漏れ日が、僕のうちにある水色の恍惚を、浮き上がらせていました。世界はこの日の為にある、またその為にある正しき闇がこの世界なのだと。
(愛の喜びも束の間、また僕は、この激しい闇の世界にまた取り込まれることになるのでした、完)←(それはまた新しい喜びの人生も伴いながら)