それでも私は山に向かう
山人

 腰は骨を再生でもしない限り良くはならない。だが、ここのところストレッチなどで腰痛はほぼ無い状態と言える。つまり、私は連日勤務で森に分け入っている。山林の灌木や小径木を刈り払っていく除伐と呼ばれる作業だ。
 足場が良好で、楽な場所は良いのだが、私が取り付いているエリアは斜度40度ほどの急傾斜地だ。足場をしっかり確保してから木を切断する。危険極まりない仕事だ。
 昨日、気温はやけに上がり、湿度も高く、シャツは汗で飽和されしぼるほどとなった。空調服は着ているが、作業中はほとんど風が通る感覚が分からない。
 小1時間ほど作業すると、もう体は悲鳴を上げる。休憩するにも腰を下ろすスペースや斜度がないから苦労する。水と梅干を補給する。水だけだと水分が体に入っていかない。まったりと山の景色でも眺める暇もなく、少し石を叩いたせいか切れ味がめっきり落ちてしまった刃を研磨する必要がある。自らの体に給水、刈払い機の給油、刃のメンテナンスをやり、ようやく腰を下ろすことができる。
 こんな過酷な条件下でハチの巣などに遭遇してしまえば、除ける術を持たない。刺されるがままだ。幸いこのエリアではまだ遭遇していないのが救いだ。
 無理をするなとよく言われる。でも無理するしかないという選択肢しか無ければ無理をするしかない。どこまでが無理でどこまで無理ではないのかという境界線については難しい。

 8月に4日間、登山道整備に出た。腰の具合は良くなかったが、勤務仕事が盆の9連休だったのでやらないわけにはいかなかった。ただ、この4日は山道ではあるが昔の古道であるためほぼ平坦な地形であり、足を踏ん張る筋肉はさほど必要としない。どれだけ背中のザックの重みに背中が耐えられるかが焦点だった。
 勤務の除伐山林作業と、登山道除草が見事に被る時期なのである。10年前の私なら、普通にやれていた。しかし、年をとり、自分の限界を感じることがままある。それは巨大な壁のようであり、怪物のように立ちはだかることがある。

 昨日私は同僚3名のうち、私だけが別なエリアに行くため彼らと違う場所に車を停め、現場に向かい作業していた。11時15分になり、昼上がりするために15分ほど山を登り、車に着いた。堰道の薄暗いところにマットを敷き、豚の餌のような弁当を広げ食べ始めた。私は弁当はすべて自分で詰めるのだが、自分の胃に関しては、身体の中に入ればすべて一緒という発想しかなく、茗荷の油味噌に麻婆茄子といった、それそのものが形状をなしていない、粘質のおかずを詰め込んだだけの弁当であった。暑さで食欲は無く、おかずと少しの飯粒を無理やり胃に流し込んだ。他におやつとして水羊羹と柿の種ミックスを持参していたのだが、それがすこぶる美味かった。
 マットの上で寝そべり目を瞑っていると、薮蚊が盛んに耳元で不快な羽音を立てている。痛みがかった痒みがあちこちに感じられ、結局ひと眠りさえすることもできなかった。
 午後の作業開始は、1時少し前から開始した。強烈な日照の中、足場の悪い中作業を続けたが、1時間以上作業することが困難で2時少し前に午後の1回目の休憩とした。15分後に再び作業開始。午後3時に現場を離れ、山道を作りながら車のところにたどり着いた。
 流れ落ちる汗を手袋のまま拭うので、目には雑菌が入り、ぼやけるのは今に始まったことではない。息を吐き、刃の目立てをする。刃先を尖らせなければ切れ味は数段落ちてしまう。眼鏡があれば良いがこんな山林まで眼鏡は持ってきていない。かなり離して刃先を研ぐ。老眼で刃先がしっかり研げているかわからないので、指で触り尖り具合を確かめる。次は、伐った木挽き屑を外に逃がしてやるために刃を左右に少し折り曲げてアサリを出す。雑巾のようになった上着を脱ぎ、身支度を整える。これ等のメンテナンスなどを終え、本隊と合流。暑かっただのきつかっただのと言葉を投げ合い、現場を後にした。

 今日私は本来登山道除草に行くべきなのだが、昨日の勤務での刈払い作業があまりにも過酷であったため、終日休むことにしたのである。スパイク付き地下足袋を新調したかったし、とにかく休みたかった。これからどんどん休まなければ持たない体になってくるだろう。ずっと肉体労働者だったし、酷使続けたツケが来ている。
 ずっと自分を卑下し、過酷な試練を敢えて自分にさせてきた。
 今月末、私は登山道除草を終わらせているのであろうか。やり遂げられる、という自信はあまりない。でも、それでも私は山に向かうと思う。


散文(批評随筆小説等) それでも私は山に向かう Copyright 山人 2024-08-31 09:31:16
notebook Home