雨を呼ぶ
宮内緑
からだだけが覚えている水田の記憶は
ずっと底のほうに沈んでしまっていて
どうしてわたしはこの庭に棲んでいるのか
どのようにして生まれ 辿りついたのか
わからない おしえてくれる親兄弟もいない
ただ気に入った庭木の陰や
紫蘭の根元の湿ったところで
しっぽりしている ひがな一日
呼び覚ましたのは 炎天下が熱した大気
積もりつもった雲がおとした 稲妻と雨
からだだけが覚えていること
雨がばつりばつりと稲葉を打ち
水面が逆毛立ち 水路が踊り出す頃
みなが喜びにつつまれ夜を待った
わたしたちも まだ見ぬ互いを待ち焦がれ
そうしてたしかに出逢ったはずだった
けれども今はひとりぼっちのこの庭で
かわきに怯え 空に問いかけている
この記憶がわたしのものでないのなら
きっとほうぼうを巡っている雲のものだろう
わたしはおりてきた雨をあびるようにのむ
あぜ道を歩いていたあなたは、誰であったか
あなたと出逢ったわたしは、誰であったか
風もつよく流れはじめた
抽選会当たってたらどうするの?
去年も途中でふってきたんだよ?
雨の音に混じって聞き慣れた声
そこへまたぴしゃりと劈く稲妻
小さな悲鳴が庭へ駆け込んでくる
乾いた夕べに水をまいてくれる母娘
わたしの庭の仮初めのあるじ
娘はしばらく家に引っ込まずにいて
軒下から通りをみつめていた
腕には光るホタルの輪っか
やがて風抜け穴の向こうに気配がすると
誰かにめいっぱい手を振った
きょうが特別な日であったことは
さっきまでの賑やか音でわかる
こんな遠音を幾たびきいただろう
夕雨と歌いあわせた季節 稲の花咲く頃に
わたしたちは無数に出逢ったのだろう
おなじような水辺を 声をたよりにすすんで
(わたしを見つけつづけてくれたあなた)
遠い記憶が雨をよべという
親たちの記憶が命を繋げという
わたしはひとり庭にひそむ蛙
それでも呱けと雨が誘う