水分をかんじない
パンジーの切先(ハツ)

(妻を忘れるため、父は随分前に出かけた、)

水分をかんじなくなったという母は、
乾燥を終えて、洗濯機から飛び出すとうめいな犬たちを、
外へ放ちつづけている、
犬たちは、夜中に作られて、朝になると、扉をバン、バンと開けて飛び出す。
乾燥機付き洗濯機の扉は、何度もいたずらに開閉を続けられて、
高く耳につく音で、その行いに抗議する、
開け閉めを繰り返されて、扉はとても締まりにくい、
それでも、かぞくの服は、母にかかれば乾燥する、
二十年間、朝に望んだ衣類がなかったことはない、
夜を通して、長く長く回る乾燥機を、母はあたたかく見守る、

夜中のトイレ帰りに、脱衣所を覗けば、
無音のまま佇んでいる母は、神様じみている。

犬は遠くにじぶんだけの骨を探しにいって、
(大抵は)、ぜつぼうして、もどってくる、

とうめいな犬たちにも、餌は必要だと、
母は子どもたちの弾いてきた数々の楽譜の、
いちばんやわらかくて、おいしいところを差し出す。
犬たちは沈黙しながら、母の手を舐める、
だが、犬の舌は、水分を含んでいない、
弾かれなくなった楽譜というのは、ひどく乾いている、

ときどき、墓のパンフが庭に散乱している、
(どちらの)、(誰の)、(どこにある)、墓に、
(誰と)、入ろうかとかんがえるとき、

両手足のゆびゆびが、
みぎはひだりと、ひだりはみぎと、
交差して、硬く結ばれて、
必然的に私は、うずくまる、ことになる、

母は乾燥していて、パンフをめくることができない、
乾燥を知らない場所でやすらぐ父には、パンフは届かない、
私だけがほどかれた指でパンフをめくり、じぶんだけの骨を入れる器のようなものを、無意識に探し始める、

夜中に目を覚まして、股が不自然に濡れている気がして下着に手を入れると、
ゆびさきにうっすら赤い液体がつく。

ティッシュでゆびをぬぐった後、
やはり気になって、
手を洗おうと脱衣所の戸の前に立てば、
母はもう明日の準備を始めている、

少し開いた引き戸から見えるその姿は、やはり、神様じみていて、その戸を完全に開くのが、ためらわれる。


自由詩 水分をかんじない Copyright パンジーの切先(ハツ) 2024-06-30 19:31:23
notebook Home