Sat In Your Lap。序文
田中宏輔
私の周囲にあったものは、すべて私と同一の素材、惨めな一種の苦しみによってできていた。私の外の世界も、非常に醜かった。テーブルの上のあのきたないコップも、鏡の褐色の汚点も、マドレーヌのエプロンも、マダムの太った恋人の人の好さそうな様子も、すべてみな醜かった。世界の存在そのものが非常に醜くて、そのためにかえって私は、家族に囲まれているような、くつろいだ気分になれた。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)
詩人の遺稿のなかに、つぎの二つの原稿が見つかった。それらの原稿は、クリップで一つにまとめられていたのだが、上の文章のメモ書きが、一つ目の原稿の上に、セロテープで貼り付けられていた。上の文章が、原稿のどこに差し挟まれるのかは、指示してなかったので、本稿の冒頭に冠することにした。二つの原稿の内容とは微妙にずれるものとも思われたが、詩人の遺稿を取り扱う際に、後から付加されたメモ書きも、できるかぎり取り入れていくという姿勢で原稿を整理しているので、このように処することにした。上のメモ書きの文章が、どこに引用されるべきものだったのか、二つの原稿を何度も読み返してみたが、わからなかった。もしかすると、ただ原稿を書き直すための参考資料にでもしようとしていたのかもしれない。詩人の意向を察することも、読者にとっては、一興かもしれない。試みられても面白かろうと思われる。
ところで、この二つの原稿は、内容から察すると、どこかの雑誌か、同人誌にでも発表されたものであるらしいのだが、調べてもわからなかった。これらの原稿が掲載された雑誌や同人誌の類は、詩人の遺品のなかにはなかった。もしかすると、出すつもりではあったが、何らかの理由で出さなかったものかもしれない。しかし、もしそうであっても、ここに、あえて収録するのは、この二つの原稿が、詩人の詩論として集大成的なものであり、詩人の詩を理解するためには、けっして見落とせないものだと思われたからである。
二つの原稿をつづけて紹介し、その後で、詩人が使っている独特な言い回しについて、若干、解説していくことにする。