詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その2。
たま
雨は詩歌。
雨はメタファー。
雨はわたし。
散文の海へ4
北のはしのトイレは風通しがわるく蚊の住処だった。
蚊にとって海水浴場のトイレほど、衣食住に満ちた住処はなかったはずだ。作業着は動きやすいふだん着でよかったが、トイレ掃除にはビニール手袋と、長靴と、首に巻くタオルが一本必要だった。わたしはディッキーズの紅い帽子をかぶって、Tシャツを着て、裏地の付いた長いビニール手袋をして、紐付きの膝下まである長靴を履く。
中川さんと上田さんは日やけよけの長袖に、薄手の綿の白手袋をして、その上にみじかいビニール手袋をつける。ビニール手袋は蒸れると気持ちわるいし、乾燥までの時間を逆算すると、汗臭いからといって毎日洗うこともできない。綿の手袋なら毎日洗えるし、すぐ乾く。なるほどとおもう。わたしは裏地付きなら快適だろうとおもったが、半月もすると汗臭くて間に合わなくなった。それで、ふたりの足元は小学生のようなカラフルな長靴だった。
黄色いゴミ袋とみじかい火ばさみを持って、上田さんが女子トイレの個室のコーナーポットに詰め込まれた生理用品や、散乱したペーパーを回収しはじめると、中川さんは粉末のクレンザーとスポンジを持って、女子トイレと男子トイレの洗面台を擦りはじめる。
「アンタ、ホース出してや。」
あ、はい。
わたしは中川さんが解錠した女子トイレのロッカーから、水道ホースを引きずり出して、まず男子トイレの小便器に水をかけることになる。男子と女子トイレは入口をはさんで右と左にあって、背中合わせだから行ったり来たりできたが、十メートルはある曲のわるい水道ホースを握りしめて、わたしは文字通り右往左往することになる。
男子トイレの小便器のほとんどは、センサーが壊れていて洗浄水が出なかった。それもあってかアンモニア臭がひどく、サンポールをぶっかけて小便器を擦るまえに水をかけるのは、アンモニア臭をいやがる中川さんの指示だった。わたしはそれほど臭いとは感じなかったが、中川さんがそれをいやがるのは、やはり女だからだとおもった。小便器の数は十ほどあってわたしが水をかけ終えると、中川さんはサンポールを左手に、柄のついたブラシを右手に持って小便器を擦り始めた。
水をかけ終えたわたしは、荒くたく輪っぱにした水道ホースを引きずって、女子トイレに回る。女子トイレには洗面台が十ほどと、個室が二十五ほどあって、中川さんがクレンザーとスポンジで洗浄を終えた洗面台に、水をかけることになるが、女子トイレの便器はまだ、上田さんがサンポールとブラシを持って擦ってる最中なので、洗面台を流し終えるとまた水道ホースを引きずって、男子トイレに戻って、中川さんが擦り終えた小便器や、大便器に水をかけることになる。
水道水はずっと出しっ放しで、しかも蛇口は目一杯開放してあるから、長靴を履いているからといっても洗面台や便器にかけた水は、わたしのズボンやTシャツを遠慮なく濡らした。それでわたしは蛇口をもうすこし絞りたいけれど、蛇口を目一杯開放するのも中川さんの指示だったから、勝手にいじることはできなかった。
トイレ掃除でいちばん困るのは、海水浴客のサンダルや素足が持ちこむビーチの砂だった。蛇口を目一杯開放するのはその砂を流すためだったが、女子トイレのいくつもならんだせまい個室の床に堆積した砂はおもうように流れてはくれない。堆積したなんて大げさかもしれないけれど、土日や、つよい風が吹いた翌日はトイレのなかもビーチみたいなものだった。
「はい、ありがとさん。ほな、帰ろか。」
作業の始まりと終わりの指示は気のはしかい中川さんだった。
しつこい蚊や砂や、便器にこびりついたウンチと格闘し、曲のわるい水道ホースをなだめすかせてちいさな輪っぱにして、女子トイレのロッカーにていねいに投げ込むと、いったん詰め所にもどるためにまた自転車を漕いだ。わたしたちの職場にエアコンはなくても、海から吹き寄せるほどよく乾いた汐風が、Tシャツやズボンに染みついたサンポールの臭いと汗を吸い取ってくれた。この汐風がなかったら、シルバーのわたしたちはここではたらくことができなかった。汐風は海辺ではたらくことの唯一の恩恵だったかもしれない。
駐車場を行く中川さんの、向かい風をうけて自転車を漕ぐ前傾姿勢は、まるで競輪選手みたいで、見ていて気の毒なほどだったが、そんな中川さんをわたしは追い越せなかった。追い越せない理由はいたって物理的で、中川さんのママチャリには三段変速機がついていたからだ。でもそれはわたしのいいわけになる。日課にしていた犬のさんぽはもう半年まえの話しだったから、マジで足腰の筋力が落ちていたのだ。
夏休みにはまだはやいというのに駐車場はほぼ満車で、それもほとんどが他府県のナンバーをつけた車だったから、休日はもちろんのこと、平日であっても交通渋滞のほとんどない街に住むわたしには、なぜか理不尽で受け入れがたい光景だった。
べつに出稼ぎしているわけでもないのに。というか。ここにいるはずのない自分のすがたにピントが合わない。というか。まるで時差? というか。え、どんな? というか。たぶん、浦島太郎みたいな。というか。あ、そうか。子供のいないわたしには海水浴場なんて無縁の世界だったのだ、と。ようやくそれに気付いて、たしかに理不尽かもしれないけれど、それがわたしの半生だったのだから、受け入れるしかないなとおもった。
七月初旬のビーチは若者の世界だった。家族連れはまだ影がうすく、目立つのは若者ばかりでそのほとんどは学生みたいだが、なぜか、女ばかりのグループが目立った。どこで灼いてきたのだろうか。もうすでにみごとなほどに日やけしている女たちの、真っ青な空の下にさらけ出した裸体の、眩しすぎるのはあまりにも堂々としているからだ。でもそれは、女たちがひかりと海とかわいた砂にまみれてあそぶための、正装した裸体なのだと気付けば、わたしだって受け入れることができるが、この歳になると近づきがたい裸体であることはたしかだった。
とはいっても、見えるものは拒めないしここはわたしの職場だという、風呂屋の番台みたいな大義名分があって、火バサミと黄色いゴミ袋さえ手にすれば、なんとなく若者たちの隙間に溶け込むことができる気がした。多少の理不尽はあってもだ。
ひとが塵みるというのは、老いるということではない。
呑み干して空になったペットボトルには、いろんな用途があり、ゴミ箱に捨てさえしなければ塵みることはない。それとおなじで、ひともまた、空になったからといって捨てきれるものではない。ひとの一生は途方もなく長い。ときとして空になることもある。
それで空になったからといって捨ててしまえば、そのひとは塵みることになって、塵みたひとは分別される。それが差異だといえば差異かもしれないが、記憶のなかに意識を持つひとは、たとえ空になっても塵みることはない。
分別を拒むからだ。
だから問題は、記憶のなかに意識を持つことだといえるが、これはちょっとややこしい話しになる。そこで、五十代半ばに書いた詩をひとつ読んでもらって、記憶と意識の関係について語ってみたいとおもうが、そのころのわたしはすでに塵みかけていて、分別されることを拒むために、いいわけめいたうつろな詩ばかり書いていた気がする。いまこれを読み返してみても、やっぱし、いいわけにすぎない詩だとおもうし、すでに年金詩人の護符をしっかり握りしめていたみたいでおもわず恥ずかしくなったりもする。
雨の日の猫は眠りたい
葉月の昼下がりの
どうしようもなくもてあました窓のしたで
たったいま
わたしに与えられたことの
すべてをおもい浮かべてみても
窓は空っぽ
ただ、雨の日の猫のように
四つ足を投げだして眠ることしかできなかった
そうして
いくつもの、浅い夢をわたり歩いては
拾いあつめた空き瓶の
青く、赤く
澄みきった記憶の
わずかな香りを手にしたまま
夢の入口に立ち尽くしては、濡れていた
長い雨だとも知らず
犬のように
四つ足のまま
ここにはいないはずの、恋人や
ここでは叶うことのない、わがままを
どこまでも、追いかけていたいわたしは
きっと
雨の日の犬にちがいなかった
晴れた日の記憶はすでに
止めどなく霞み
芯まで濡れたこのからだを乾かさなければ
やさしく老いることもできない
だから、もう
浅い夢をわたり歩くのは、やめようとおもった
雨の日の猫のように
明かり窓のある家の
乾いた木の階段のてっぺんから二段目あたりで
すずしい顔をして
たったひとつでいい
やわらかい猫の手のとどく夢を見ていたい
まるい顔をした牡猫のようなわたしが
いつもの食卓に頬杖ついて
あつい紅茶をすすりながら
朝のパイプを咥えていたとしても
妻さえ気づかないはず
それでいいとおもった
目覚めた午後は、ほどよく冷えた西瓜をたべる
汗にまみれたTシャツも、ブリーフも
脱ぎすてて
居間の椅子に腰かけて
まあたらしいタオルを日やけしたほそい首にかけて
肋骨の浮きでたうすい胸を隠し
すこしでてきた下腹の
ちじれた陰毛の影に
だらしなくぶらさがった部品の位置を気にしながら
張りのないおしりは
色あせた合成皮革に吸いついている
午後の日差しは
わずかに粗い粒子をともなって
白いカーテンをゆらしている
窓の外には大きなケヤキの木があって
その梢の上にはかわいた宇宙があった
この地上に
たったひとり分の木陰さえあれば
わたしはこうして裸でいたかった
ときには犬でもなく、猫でもなく
ヒトでもない
まるで
西瓜のような生きものでしかないわたしを
たしかめてみたかった
階段のしたで眠る
ちいさな犬をまたいで二階にあがる
廊下をかねた二畳ほどの板間の小窓から
蒼い稲穂の波打つ海が見えた
ささやかな営みをのせて
季節をわたる箱舟がたどりつく港は
まだとおくても
いま、この海に
捨てなければいけないものがあるとしたら
わたしはなにを捨てるだろうか
洗いざらしの生あたたかい衣服を身につけて
ちいさな犬と、散歩にでかける
日にやけたアスファルトの
雑多な小径は
いく日も降らない雨をおもい出そうとしては
とおざかる意識をつなぎとめようとしていた
よく手入れされた畑の
心地よい表情や
人の手をはなれた田畑の
夏草に埋めつくされた投げやりな視線のなかを
ちいさな犬と歩く
浅くても、ふかくても
この地上にひとつとして
無駄な眠りはない
ちいさくても犬のかたちをしたおまえは
犬のしあわせを手に入れたか
恋はしたか、もうすぐ
わたしの年齢に追いつくことを知っているか
過ぎ去った日々の
晴れた日と
雨の日をかぞえてみても
それは昼と夜の等しい数をかぞえるように
無意味なことだとおもわないか
季節だけが
たしかな暮らしを運んでくる
晴れた日は、犬のように風をあおぎ
雨の日は、猫のように眠ればいい
それでも追いつける夢はあるはず
老いることは
どうしようもなく忙しいことだと知っていても
雨の日の猫は眠りたい
だから、もう――
散文の海へ5
詩は終わりのない小説だという。
なるほどとおもう。詩はとりとめのない意識や、不確かな記憶を書きとめたメモ帳みたいなもので、メモ帳は二、三枚書き付けては剥がすことができる。剥がしたメモは、すべて肩紐で綴じることができるのだが、詩人が生きつづけてメモ帳を手放さなかったら、それを綴じ終えることができるのは、詩人の没後になってしまうだろうし、綴じ終えたとしてもメモは未完のままでしかない。
さらもうひとつ付け加えるなら、これは詩人の生き方が例外なく自己に帰結することを、嘲笑的に示唆しているようにもおもうのだが、自己ではなく自他に帰結できたとしたら、メモ帳に書きつけた詩は小説になり得るだろうか。わたしはその解答を待ちきれないからいまこうして小説を書いているけれど、これもまた終わりのない小説のほんの一小節であるかもしれない。
じつにややこしい話しだ。
それで話しを元にもどすと、老いが絡みはじめるのが五十代だとしても、まだ男を持て余す五十代には隠しつづけたい生々しい意識や、傷の癒えないまあたらしい記憶があったはずで、そうなると、いまのわたしがこの詩を読み返してみても、その当時の意識や記憶は、ほとんどおもい出せないから、この詩のほんとうを読み解くのは、ちょっとむずかしいとしかいえなくなる。だからもう、わたしの詩ではないような気がするのだが、五十代がそんなにとおくなってしまったのだという、失意にも似たすっぱい感情が込み上げてきて、やさしく老いることができるのは犬や猫だけだよ、と。つい横槍を突っ込みたくなるのはこんな甘い詩を書いていたころのわたしを羨ましくおもうからだろうか。
しかし、とおもう。
五十代のおとながこんな甘い詩を書いているとしたら、ひとがおとなになるのはいったいいくつからなんだといいたくもなる。古希を目のまえにしても、わたしはまだおとなの気分にはなれないし、もうすぐおとなになれるような予感はあるけれど、それはたぶんやって来ないというか、わたしのないものねだりではないだろうかとおもう。ひょっとして、おとなに成りきらないままに、ひとは老いてしまうのではないだろうか。ほんとうにおとなと呼べる年代はもっと若くて、小学二年生あたりのみずみずしい感性に生きたころが、ほんとうのおとなではないかとおもうこともある。老いるということは、そのおとなからどんどん遠ざかることなのだとおもえば、なにもかも辻褄が合うような気がするからだ。
ひとの一生は右肩上がりではなくへの字型の右肩下がりなのだ。その頂点は生後十年あまりでやってくると考えられる。への字型の頂点には視力があるはずで、目の成長が止まるころが頂点だと考えると、生まれたばかりの生きものはほとんど目が見えないから、ひとや犬や猫のその成長ぶりをおもえば、生きものの一生はほとんどみな等しいことになる。
生まれたばかりのひとや犬や猫の赤子は目が見えない。そんなことは当たり前だからわたしたちは気付かないけれど、目が見えないというとくべつな意味がきっとどこかにあるはずで、目が見えるまでのほんのみじかい幼少期に、耳だけがすべての世界とつながっていることをおもえば、そのつながっている世界では、己の魂はもちろん、この世とあの世を行き来する魂さえも、耳で見ることができたはずだ。そうなると、いまを生きるわたしの魂に出会うためには、幼少の頃の古い記憶まで辿らなければいけないことになるが、老いるとともに辿り着けなくなるのはたしかだから、ひとは記憶を辿るごとに、不確かな記憶を再構築することになる。それはつまり記憶をつくり替えるということで、そうなるともう意識のなかの創作であって、わたしが詩を書くのとおなじ行動ではないだろうか。
記憶のなかに意識をもつというのは、記憶のなかにもうひとりのわたしが存在するということ。塵みることを拒んでやさしく老いるためには、記憶のなかにいて、未来を描きつづけるもうひとりのわたしがいなければいけないということだ。
詩は過去にあったり未来にあったりするが、どこにあってもそこにある意識はいまを生きるこのわたしのものだ。意識は自由気ままに時空を跨ぐことができるのだ。詩はそんな意識の気まぐれな便乗者であるかもしれない。
女
どこから女で
どこまでが女であるのか
ようやくわかりかけてきたところだが
だからといって何かの役に立つかというと
その予定もない
ぼちぼち、男も
店じまいするところだ
散文の海へ6
詰め所にもどってみると、ロックしていたはずの鉄の扉がおおきくひらいていた。
倉庫のなかの詰め所だったから、倉庫を利用するひとはほかにもいて、あたりまえだけど合い鍵はいくつもあったのだ。
詰め所の扉をあけたのは、海水浴客たちの安全を見守るライフセイバーの若者たちだった。水泳教室の帽子みたいな、赤と黄色のセービングキャップと、真っ赤なサーフパンツを身につけて、まだ日やけ半ばの上半身はたくましく、おそらくは体育系の学生たちだろうか。黄色いパトロールユニホームを着た女子も混じっていた。倉庫には彼らが毎年使用する用具や備品が保管されていて、夏本番を迎えたビーチに商売道具を運び出すために、いそがしく出入りしているのだった。
わたしにはガラクタの山にしか見えなかった商売道具だが、彼らにとっては、というか、海で溺れる者にとっては、なくてはならない救命用具なのだった。そのメインになる用具がふたつある。セーバーが肩にかけて救助に向かう、ライフガードチューブと呼ばれる浮き輪と、救助した者を乗せてビーチまで運ぶレスキューボードだ。コンクリートの床にそのふたつだけはていねいに積み上げられていたが、その他の用具は雑に置かれている。キャンプ用品の折りたたみ式のテーブルや椅子や、彼らが宿舎で使う冷蔵庫やレンジまであった。軽トラック一台と数台の自転車で運び去るには時間がかかりそうだった。
倉庫の入口を塞ぐかたちのわたしたちは、いったん追い払われることになって、昼休みまでの一時間あまり、駐車場のゴミ拾いをすることになった。中川さんとわたしは自転車の。上田さんはスクーターの。前と後の荷かごに、ゴミ袋と火バサミを投げ込んで南と北にわかれた。自転車の荷台にはスーパーの買い物かごが、結束バンドで固定されていて、ゴミ袋一杯分なら楽に積めた。だれが考えたか知らないけれどじつに安上がりだ。
午后はビーチのゴミ拾いだった。
炎天下のビーチだというのに乾ききった塵みはひとつもない。空き瓶や空き缶は汐水と砂を腹にため込んで、プラゴミや藻屑は半ば砂に埋もれ、波打ち際に波紋を残したまま堆積した塵みは、わたしの手を逃れ砂に潜り込もうとしている。長い柄のついた熊手を持つ手はまるで潮干狩りみたいで重い。藻屑は臭くて小蠅がたかる。腕も足も重くてだるい。海水浴場は遊ぶための場所あって、はたらく場所ではないような気がする。
しかもシルバーだ。わたしはまだ若いとしても、上田さんと中川さんの年齢でできるしごととはおもえないのだ。上田さんたちはトイレ掃除だけでいいのにとおもう。
「ゴミなかったら、金儲けできへんで。」
たしかにそうだけど……。
海水浴客の邪魔にならないよう気遣いながら、ビーチに打ち上げられた塵みを熊手でかき集めてちいさな山をいくつもつくる。
「ゴミや思うても、お客さんが置いてあるだけのもんもあるから、気いつけてや。」
飲みかけのペットボトルや、散らかった子供のおもちゃなど、ビーチでのゴミ拾いは意外と難しい。
「ややこしいゴミはそのままにしとき。」
あ、はい……。
そんな作業が四十分あまりあって、ひと休みしたあと、塵みの山をゴミ袋に詰め込むことになる。道具はない。ゴム手袋や軍手をしての手作業だった。そのゴミ袋を遊歩道沿いに点々と置かれた金網のまるいゴミ箱の傍らまで運ぶのだが、波打ち際から遊歩道まで、近いところでも、わたしの足で八十歩あまりあるくことになる。砂も混じってずしりと重いゴミ袋を両手に提げて、砂漠のような砂浜をあるく上田さんのすがたはとても見ていられない。
ぼく、運ぶからそこへ置いといて……。
「あれ、ほんまかいな。助かるわあ。」
上田さんと中川さんが詰め込んだゴミ袋を運ぶのがわたしのしごとになった。トイレ掃除の長靴を履いたまま砂浜をあるくのはきつい。上田さんたちは運動靴だったけれど、靴下の底まで砂まみれになるのがいやでわたしは長靴を履いた。午后の作業でわたしが運ぶゴミ袋は二十ほどになった。
「ねえ、あんた。来年も来てや。」
上田さんが笑っていう。
うん、わかった。
わたしは素直に応えたが上田さんはどうなんだろう。上田さんは来年もだいじょうぶですか……とは、問い返せないのだ。後期高齢者の来年の約束は冗談半分で成立する。来年の話しは軽いわらい話しでしかない。
猫又木浜海水浴場の駐車場は、十二月から二月までの冬期は閉鎖されるが、それを除くとほぼ年中開いていて、駐車料金さえ払えば自由に出入りすることができた。
それでわたしは気付かなかったけれど、上田さんと中川さんは三月から十一月までの契約ではたらいていたのだ。わたしは七、八月の二ヶ月間だったから、また来年とおもって、上田さんと約束をしたのだけれど、お盆もすぎたころに、聞き覚えのある若い女から電話があった。
「お世話になります。」
あ、ども……。
「九月から、月水金の週三日なんですけど、いかがですか?」
ん、どんなしごとですか?
「猫又木浜ですけど。」
え、あそこ?……。
月水金の週三日、九時から一三時まで一日四時間という再契約だった。
「ほんまかいな。あんた、それ、ええわ。断ったらでったい損やで。な、あんた、やりな。」
わたしの街では「絶対」は「でったい」と発音する。上田さんの「でったい」は妙に重みがあってつい寄り切られてしまう。それも年の功かもしれないが。それで、わたしも収入が安定するし断る理由もなく、九月以降も上田さんたちとはたらくことになるが、よく考えてみると、わたしにとってはそれこそが冗談半分みたいな話しだった。
シーズンオフの。人気のない海水浴場の。トイレのとなりの。倉庫のなかの。うす暗い三人は。どう見ても海水浴場の留守番をしているようなものだ。
たったふた月のアルバイトのつもりが、まるで海水浴場に就職したみたいなことになって。そうなると来年も再来年も、ゴミ拾いと、トイレ掃除がつづくことになって。それはそれで、わるくはないけれど、いつまでつづくことになるのかが気になるのだった。
ここには定年がなかったからだ。
「休むのはええけど、辞めたらあかんで……。」
上田さんはいつもそういうのだった。
航路
海は
海でしかなく
ひとは
ひとでしかないはずなのに
定期船に乗って
航路に出ると
なにもかも
忘れ物したみたいで
空っぽになったわたしは
地球ではない地球のどこかへと
まっすぐ
流されて行く
それが
あの日の
約束であったとしても
あの日が
いつであったのか
だれと交わした約束であったのか
思い出そうとする
意思さえも
海は
拒んで
わたしだけが
流されて行くかもしれない
航路は
でこぼことした
波のうえにあって
とてつもなくおおきな
生きものの
背中であったとしても
尋ねようのない不安は
風にちぎれて
海は
海でしかなく
わたしは
わたしでしかないはずなのに
日が射した水平線に
ことばは
生まれて
約束した日の日記とか
忘れ物した日の伝言とかは
もういちど
捨てなければいけないみたいな
くぐもった声が
聴こえるから
それはいやだと拒んでみても
いま
こうして
意識の片隅で
奪われて行く体温が
あなたのものであったことに
気づいて
わたしは
ようやく
海の正体を知る
その3へつづく