閃篇5 そのいち
佐々宝砂

1 また明日

また明日、と言って彼女は顔を伏せた。また明日、明日はいつくるのかと聞いたらまた明日なんだから明日来るに決まってるだろうと笑われたがここは明日が明日来るかわからない土地なのだ。みんなそれをわかって笑ってる。明日とは何か。誰もわからない。誰も知らない。明日はこの世界の自然係数も変わってしまって明日は明日の世界が来るとしか言いようがないけど、でも、わかってることや変わらないこともある。私はコーヒーが大好きだ。うちの隣のおにいさんは向こう隣の本屋のおねえさんが大好きだ。たぶん因果律がどんなに変わってもそういうことは変わらない。つまり世界が変化してもこのコーヒーは美味しいのだ。

2 逃れられない

逃れられないと嘆いてうずくまる人を最近よく見かける。空には今日も茶褐色の暗雲が重たげにわだかまり、科学者たちは誰一人その暗雲について説明できなかった。日照時間の低下により米は不作になり、人々は暗い顔をして過ごすようになった。でも逃れられないと言って泣き出す人を見かけるようになったのはごく最近だ。街角で、職場で、突然の天啓を受けたかのように逃れられないと叫びだす。もうそうなったらどうしようもない。ただ逃れられないといい続けるだけの人になってしまう。ああはなりたくないと思いながら歩く私の足元に茶色い泥が這い寄ってきた。そうか、そういうことだったのか。なるほどこれは逃れられない。私は逃れられないと叫んで泣く。


3 天国と地獄

走り出す。だってこの曲が流れたら走るしかない。運動場は明るくトラックは小豆色と抹茶色、ぼくは走る。なんで走ってるんだろう。走らなきゃならないことはわかる。ぼくは前の選手を追い抜きトップに躍り出る。歓声が心地よい。こんなに楽しく気持ちいいことはあんまりないだろう、と思う間もなく背後の選手がぼくを抜く。追いつこうとがんばる、しかし離されてゆく。離されてゆく。苦しい。死にそうに苦しい、と感じた刹那、ぼくは自分がすでに死人であることを思い出す、でもやっぱり、ここが天国なのか地獄なのかわからない。

4 梅雨

梅雨どきは境が薄くなるのよ。すうすうと薄くなるあちらとこちらの境。ほら見て。川の土手を蛍が飛んでゆくわ。明日はきっと雨だから、こんなに蛍は見られないでしょう。今夜はこんなに綺麗だけれど。ねえ、あの蛍たちもこのすうすうと薄くなる梅雨どきの境を越えてきた子たちなの。あなたに会いに来たのかもねえ。うふふ。そうよ、私もあなたに会いに来たの。梅雨どきはあの世とこの世の境が薄い。あなたは私を覚えているかしら?

5 世界の終わりに君と

いやだめだこれはつまらなさすぎる。世界の終わりは一度しかないと君は思ってんのか。クソつまらんな。僕は夜の屋上に立ち世界を見下ろしながら君に命ずる。君の世界は今から終わる。世界の終わりに君は僕と踊れ。君の世界は今後何度も終わる。僕が保証する。すべての世界が終わるとき君は僕の言葉の意味を知るだろう、ほら、今この瞬間にも君の世界が、僕の世界が、すべての世界が、終わる。


自由詩 閃篇5 そのいち Copyright 佐々宝砂 2024-06-07 20:02:09
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