泡(あぶく)
ホロウ・シカエルボク
慟哭は泡上の海に沈殿して行く、死後硬直のあとの眼球のような濁りと共に、ソプラノで鳴く海鳥たちの忙しない鎮魂歌、灰色の空に灰色を足していく、自傷癖の鮫が血を求めている、雷が遠くの空で擦過傷のように瞬いている、いつだって網膜の中に宿命は焼き付けられる、狂った四分音符の羅列、規則性は良く出来た嘘だ、信じさせるためには真実よりも喋る必要がある、お前の証明はいつだって口だけの出任せさ、鋳型に生身を捻じ込んで行くだけのオーディナリー・ライフ、他の誰かが保証したまともさの中で一抹の疑問も無いままに食い潰すんだろう、魂の無い言葉など気に留める暇はない、それは遠い国の硬貨みたいなものだ、拾っても使う当てもない、砂浜に長く居座ってはいけない、遺跡の中に飲み込まれたような気分になってしまうから、それが分かっているのに動き出せない、だから少しの間存在を諦める、それは悪くない気分だ、存在を自覚しているというのはすべてを背負う覚悟をするということだから…風はサーカスの、鉄球の中を走るバイクのように好きに吹く、あるがままに動くものたちは命を朦朧とさせる、それは、確か過ぎる、それは、大き過ぎる、それはあまりにも連綿と続き過ぎているのだ、一人の人間には絶対に知り得ないスケール、最大公倍数の三次元世界―何故こんなところに放り込まれたのだ、打ち消しても打ち消してもそんな言葉が脳髄をノックする、居直ることは出来るだろう、なにもかも分かっているふりをすることも出来るだろう、でもそれは真実に一ミリも近付くことはない、空っぽの箱に豪華な飾りをつけるようなものだ、俺は現在の瞬間瞬間を結晶化したい、ただそれだけの為に血眼になっているのだ、おお、大型のプレス機のような波が大地を叩く、そして舌のように舐めて行く、そこにどんな言葉を付け足すこともない、初めからそいつらは詩なのだ、そして詩のままで生き続けて行く、俺は手の甲を噛む、薄っすらと血が滲む、俺にそれが出来ない理由は?短命過ぎる、小さ過ぎる、弱過ぎる、おそらく…でもそうでなければ、俺は詩であろうなんて考えもしなかっただろう、酷いパラドックスだ、星に自分の名前をつけるようなものだ、最初の一音すらその星に届くことはないというのに、そうさ、結局のところ、それは過剰な欲望の表れだ、食っても食っても食い足りない餓鬼どもの饗宴だ、脳味噌はそいつらの食いカスで出来ている、声を上げろ、押さえられない声は一番心に近い、飢えろ、飢えろ、飢えろ―食らいついたら破裂するほど噛み砕いて飲み込むんだ、俺は欲望の結晶になりたい、そしてそれをあちらこちらに突き付けてやりたいのさ、俺にはそんなもの以外すべて嘘に見えてしまうんだ、何故こんなところに放り込まれたのだ、答えを求めようとするな、そんな問いは忘れたころにおそらくは勝手に見つけることが出来るだろう、沈んで―沈んでしまいたくはないか、緩やかに動き続ける波はそう囁いているように見える、いつかね、と俺は答えて、あとは知らない振りをする、鴉が一羽、4メートルほど離れた、積み上げられたテトラポッドの頂点に止まってこちらを眺めている、そいつは確かに俺の心情を正しく理解しているように思えた、だから俺はそいつに話しかけないようにつとめた、意気投合でもしてしまったらそのまま二人で波の中に沈んでいきそうな気がしたからだ、相手の目を見るだけでそんな絵が見えることがある、それは感情の歴史に裏打ちされた直感的理解だ、世に言われる直感と言われるもののほとんどは、一番手ごろな考えに飛びついただけの稚拙なものに過ぎない、直感的理解とは悟りのようなものだ、波長や感性が瞬間的に増幅されてキャッチするのだ、立ち上がり、海岸に背を向ける、その途端背後から巨大な生きものに飲み込まれそうになっているような錯覚に陥る、人間の感覚の限界、本当の意味で海を知るものなど居ない、どれだけの情報を拾い上げようとそれは真実の欠片以上のものでは決して在り得ないのだ、低い堤防の横にまっすぐ伸びる海岸道路は潮を浴び続けて燻っている、風は地球の形のまま吹き付けて来る、十一tダンプが砂利を撒き散らしながら猛スピードで走り抜けていく、バラック小屋のような排気ガスの臭い、かつてはコンビニだった建物、かつては中華料理屋だった建物、そして古い墓地、苔生した墓石たちはまだ傷つかなければならないのかと憤っているように見える、巨大なアンテナの足元に放置された事故車、凄惨な死亡事故だったという噂が付き纏っている、もう何十年も営業していたラブホテルの入口にはいついつ閉業致しましたという馬鹿丁寧な挨拶が掛けられていた、そして灰色がすべてを塗り潰していく、人生とはからっぽの世界に立ち込める霧だ、靴底に絡みついた砂利が胡桃のような音で啼いたとき、それまで持っていたなにかを失くしてしまったような気がした。