巻貝のあぶく
由木名緒美

あの子の声が
いかりみたいに心に刺さって
ゆらゆら
くらげみたいに流されて
泣きっ面に満月
私の脚はどこに

輝けたらと星を見上げ
心が波間に冷やされていく
悪く言ってやったわ
あの子のこと
寡黙な巻貝なら誰にも言わない
けれど、そんな私の声が
世界で一番大嫌い

巻貝はあぶくの相槌でひたいを撫で
殻からゆっくり触手を出すと
静かな声で語り掛けた

「愚痴は愚かな痴と書くけれど、
痴れ者になることで救われることもあるんだ

君は傷つけられたと感じ、
傷口から苦汁を分泌させては
傷をより深くえぐり続ける
自分を癒せないのは、君を愛する君自身の愛が足りていないからだ

君が君を愛した時、誰も君を傷つけなくなるし、君は君自身を傷つけなくなるよ

自分を愛する者は、世界で一番の勇者なのだから」


巻貝は触手を揺らして「おやすみ」と言うと、砂の中へと潜っていった

私はゆっくりと泳ぎ出し、海藻のひとふさに身を絡めた

目を瞑ると、大きな海の中に自分しか存在しない様を思い浮かべてみた

誰もいない
追いかけるサメもなく
熱帯魚の模様に嫉妬することもない
エイの冗談で笑うことも
巻貝のあぶくに聴き入ることもない
一人ぼっちの世界

なにも存在しなかったら
私は私を愛するしかなくなるのな

私は私
一人きりの私
かけがえのない
最高の友

孤独な海に救われた夜に祝おう

豊穣の大海原で
世界を照らしていたのは

暗がりに隠れていて見えなかった
世界を映す私の瞳の奥の満月だった


自由詩 巻貝のあぶく Copyright 由木名緒美 2024-04-12 07:20:46
notebook Home 戻る