悲しみのうた
秋葉竹
昭和、黄金時代
あきちを夕日が朱に染めるころ
昭和の悲しみは
まるで未来にすべてが解決できる悲しみに
想えたんだろ?
東京にいったとき
東京タワーではなく
スカイツリーに、登った
大阪に行ったとき
通天閣の真横の
あべのハルカスにも、登った
あたし、
知ってんだ
洞穴に住んでたむかしのすべてのひとが
あたしに劣っていたわけではないってね
あたしより
素晴らしいかたがたも
いっぱいいっぱい
いらっしゃったって。
だから、かな。
けど、バッカみたいに
悲しみばかりを探して
そのありかに戸惑うのは
なんでなんだろうね?
とか、想うんだ。
悲しみなんて
あたりまえに
あるのにね?
夢をみたんだけど
あまりに叶えられない夢だから
身を切るように
忘れてしまった、かな、
あたし?
悲しみがいちばん
大嫌い、だ。
時計の音ばかりが聴こえる
この部屋の休日の日常が
罪の数のまえに罰の数を数えさせるんだと
うんざりと云うのなら
追われるほどの
時間なんて
無いと
想って。
昭和って
きっと
手元にスマホが無くても
いつまでも待てる時間があったから
黄金時代だったんじゃ無いのかな?
なにひとつ根拠の無い
あてずっぽー、だけど。
身の丈に
相応しく無いスマホには
ただ震えてる 神も悲しむ。