天国のない島
AB(なかほど)

 譲治は
 転んでもすぐには泣かずに
 ひざ小僧の痕を
 ひとつふたつと
 数えていた
 数えているうちに
 血が滲んできて
 滲んでくる血を見ているうちに
 お婆が寄り添ってきて
 優しい手でひざ小僧を
   ツルメックェー
     ツルメックェー *
 仕上げに
 痕をさすった手で空を切った


 譲治の
 家のガスレンジの向こうには
 仏壇のように
 お茶とお酒とお米が供えられたヒヌカンがあって **
 お婆は朝な夕なに
 黒線香を立てていた
 お米を取り替える時には
 下げた米粒を譲治の頭にすりつけ
   チャーガンジュウ
     チャーガンジュウ ***
 仕上げに
 髪をさすった手で空を切った


 譲治の
 お婆はいろんな神様を知っていた
 そして 
 いろんなムジナも知っていた
 それは
 George のパパの国にも
 譲治の新しい父ちゃんの国にも
 昔は住んでいたらしいけど
 強い神様がやってきて
 もういなくなったらしい


 譲治は
 生まれた時には「George」であって
 「譲治」ではなく
 お婆にはその違いも判らなかったが
 譲治が
 そのことに気付いたのは
 随分小さい頃で
 ずっと気付かないふりをしていた
 母ちゃんはいつも
 夜遅く帰ってくるので
 子守り唄はお婆の声で
   ナチュヌワラバー
     ミミ グスグス ****
 仕上げに
 耳をさすった手で空を切った


 譲治は
 母ちゃんのやっている歓楽街のスナックに
 初めて入ってみた
 昔はドルが高くて
 Pay day には大賑わいだったらしいが
 この頃では観光客相手に

 店からの帰り道
 母ちゃんは突然
 道ばたの草をちぎり
 いつもお婆がやっていたように
 〆に結んだサングヮーを作り *****
 譲治の胸ポケットに挿した
 「Georgeのパパは ベトナムに行く前に
    この島は天国 と言ってたよ
      でも、本当の天国に行ったけどね」
 仕上げに
 頬をさすった手でクロスを切った


 譲治は
 生まれた時には「George」であって
 「譲治」ではなく
 けれど
 大人になった譲治には
 パパの言った天国の意味も
 母ちゃんの言った天国の意味も
 心で感じることはできずに
 ただ
 〆に結んだ草を見つめて
 空から聞こえてくる
 お婆のつぶやくような
 いくつものおまじないの声に
 耳を澄ませていた



 * チチンプイプイのようなおまじない
 ** 火の神を祀る棚
 *** ずっと頑丈で
 **** 泣いている童は耳グスグス、『耳切り坊主』の一節
 ***** 魔よけ、お守りのようなもの、
     夜出歩くときに身に付けた。


  


自由詩 天国のない島 Copyright AB(なかほど) 2003-11-29 09:09:32
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