失くした頁ほど読み返したくなるものだから
ホロウ・シカエルボク
時計の文字盤の進行と街の気配が奇妙な歪さをもって網膜に刻まれる午後、全身に浅黄色の布を巻きつけた梅毒持ちの浮浪者女が木の柵で囲われた売地の中でこと切れる、鴉たちは低いビルの立ち並ぶ様々な屋上からそれを見下ろしている、もはや生肉を好む時代でもないだろうと…それが食うには値しないものだということをちゃんと理解している、排気ガスと電磁波が交錯するレクイエム、三本足の犬が真直ぐな道に苛立っている、終わりの無い演目をこなすだけのピエロたち、拙い芸を口先で誤魔化している、言ったもん勝ち程度の世の中、国語辞典がゴミ捨て場で黄色く焼けている、武器を欲しがるのは兵士だけじゃない、戦場に出る覚悟がないから正面にも立つことが出来ない、逃亡を誇らしく装うやつら、俺は唇を歪めて次の一行を探す、世界が生まれる瞬間、沸騰する血液の泡がイマジネーションによって記録される、音符の存在しない楽譜、日本語はそれだけでグルーブに成り得る、先端が刃物に変わる津波のようなものだ、すべてが切り刻まれてばら撒かれる、新天地に根を張る種、探し続ける者にしか伝わらない寓話さ、覚悟?俺の覚悟はすでに出来ている、それはいつか道端で薄汚れてのたれ死ぬだろうという運命を受け入れる覚悟さ、路地裏で死んだ薄汚い女へのシンパシー、詩書きなんて性病持ちと同じくらいの価値しかない、それでもまだ見たことの無い一行を書きたがるやつがたくさん居て、そいつらの何人かは俺を神輿に乗せたがってる、そして俺はいつだってそこから降りることを―いや、そこだけの話じゃない、あらゆる場所から降りてひとりきりになることを考えているのさ、書くということはもっともシンプルな行為だ、虚栄心や下心はそこには存在しない、誰だってそうじゃなくっちゃおかしいだろ、もちろん時々にはそんな厭らしさを持った人間も現れるよ、でもすぐに居なくなるんだ、そんなやつに出来ることは限られているからね…すれ違いざまに肩をぶつけていくやつら、なあ、それでおしまいなのかい、まるで面白くないぜ?女が倒れた場所にはすでに人だかりが出来ていた、たくさんの人間が彼女の死を撮影していた、彼らの携帯のフォルダに保存された彼女はどんな腐敗を始めるのだろう、俺は彼女の死にこっそりと手を合わせた、どこのどんな人間だってそんな風に死にたくはないはずさ、街は少し曇り始めていた、雨の予報が出ていたかどうかは思い出せなかった、そして俺にはまだしばらく傘を買うつもりなどなかった、下らない出来事に群がるやつらはいつだって蠅みたいに見える、潰れたパチンコ屋の前を歩きながら短い詩を書いた、SNSは時々感情の墓場になる、それは詳細な時間の死の記録でもある、若い頃よりは確かに死の臭いは近くにある、だから身体は刺激を求め続ける、錆びついて安易な共通概念を共有するような毎日になったらおしまいさ、そいつはもう生きながら死んでいるようなものだ、自動音声案内のように毎日同じ台詞を繰り返し続けるだけさ、ゴミ捨て場で焼けた国語辞典のページが剥がれて風に舞う、一枚や二枚じゃない、壊れ始めるとあっという間、道は次第に死に絶えたイマジネーションの死体で一杯になる、それを殺したのは、それを殺したのは…?スターバックスは自己顕示欲の坩堝、俺はカップベンダーのコーヒーを飲みながらその悍ましい一角を通り過ぎる、誰に聞かせたい話なのか、あまりに薄っぺらい価値観の数々、友達と話してるていでしか話せないやつらが多過ぎる、俺は紙カップを握り潰してゴミ箱に捨てる、誰かが俺よりも前に投げ込んだ食べかけのハンバーガーの臭いが鼻につく、大量殺人の幻想―あるいは欲望、それが誰のためのものなのかなんてあまり突き詰めない方が身の為だ、人殺しに慣れるかもしれない希望を持っておくことは悪いことなんかじゃないさ、それもある意味で覚悟ではあるだろう…もちろんそれは幾つもの意思やビジョンを、正しく変換して飲み込める回路を保持しているかどうかにもよるけれどね、とかくこの世は安直に安直にと、取るに足らない解釈を積み上げたがるものだから―そしてとうとう雨は降り始めた、タクシーを捕まえるかい?それぐらいの金は財布の中にある、でもそんな気分じゃなかった、引き込んだ風邪がようやく治りかけているけど、傘も買わずに家に帰ることに決めた、どうせここで意地になってもどこかでしわ寄せが来るものさ、だからしわ寄せを先に済ませておくんだ、それもバランスのとり方のひとつではあるはずさ、家に帰ったら温かい珈琲を飲もう、腹を壊している猫に胃薬を飲ませて、音楽を聴きながらサローヤンの小説を読もう、俺だって嘘に違いない、でもそんな俺だって時折は、真実のように確かに見える瞬間があるものなんだ。