鏡像(10)「I さんの記憶」
リリー
「はい、どうしたんですか?Iさん。」
私を手招きするIさんの車椅子へ
膝を折り目線を彼女より低くして寄り添う
舌が上手く回らないIさんは
口籠もりながら優しい目をして
お風呂が気持ち良かったと話すのだ
夕食待ちの大食堂はアコーディオンカーテンが閉まったまま
待合所のフロアには、もう大勢の方達がおられる
この日 シフトの遅出勤務だった私は
食事介助と夜のオムツ交換に携わる
Iさんは私のことを
長浜にいらっしゃる妹さんだと思っている
九十歳近いIさんにとって、若い私が妹であるという事は
彼女自身いつの時代を今、生きておられるのか?
食事介助で私が彼女のテーブルから離れ
別の方の介助に付くと
食事を終えて病室へ戻る時いつも
私を睨んで怒るのだった
寮父が宿直業務へ就いた日の朝礼で報告される
認知症のIさんの、オムツ交換への激しい拒否と抵抗
「こんな状態ですわ。」
ユニフォームの袖口の腕には赤い引っ掻き傷
女性としてのアイデンティティは護られなければいけない
寮父が宿直勤務の日
Iさんの深夜のオムツ交換は行わないまま
排尿でどっぷり重たくなったオムツを、
早朝の早出出勤の職員が交換するようになったのだ