鏡像(9)「Oさんの記憶」
リリー
冷たい風で日の差す路面のアスファルトに
一台の車の走行音も乾いている
道の向こう側に閉まっている施設の大きな鉄の門へ
毛繕いしながらチラッと目をやる
サバトラ猫の鈴ちゃん
昨日は仕事帰りに私を見つけて
猫用のチューブ菓子をくれた、あの寮母さん
彼女は今日も出勤してるかしら?
×××
「このところ…Oさん節、もう聞くことなくなりましたねぇ。」
「仕方ないわよ。薬で…今朝もトロンとした目ぇしてなぁ。」
「私らにだけなら問題無くても、他の入居者の方達から苦情が
来るんやから。」
昼食の休憩時間に洩らす
寮母達の会話には複雑な想いが込められている
「ああ、そうかいな!やかましわっ、あほんだらが!
あんたみたいな、お馬鹿は死んでおしまいっ。」
Oさんの性格だけではない軽度の認知症あっての言動に
副主任が、少し口を慎むようにと諭しても
「はいはい、そうですかいな。」
まったく効き目が無い
「ああ?なんか用ですかいな?何しに来たん?
あんたの顔なんか見たくもないですっ!
トットと失せろ!」
旧館一階の寮母達は皆んなOさんから
廊下にまで聞こえる罵倒を浴びせかけられ、さんざん悪態つかれる
私も彼女の顔色をうかがい、ご機嫌を取りながら
いつも時間をかけオムツ交換をさせて頂いていたのだった
朝礼で感情の起伏激しいOさんの暴言や
目に余る態度が報告されると
嘱託医から精神薬が投与される
対症療法的薬物投与である
Oさんは寮母室へ立ち寄る事しばしば
寮母がそばに居て たわいない話を聞いてもらえると
可愛らしい表情でニッコリ笑ってくださるのだが
なかなかいつもというわけにいかず
胃薬だ、消化剤だなどと言われ飲まされる薬の副作用で
やがては足腰まで弱っていってしまわれる
Oさん自身の人格的問題だけでなく、
これが彼女の寿命を縮めてしまう事になったのだ