鏡像(8)「コミュニティ」②
リリー
「新館の二階、また部屋替えあるみたいですね。」
相部屋なので、入居者同士の相性の問題が生じてくる
「もめてんのよぉ、永田町。」
「また××さんと△△さんの派閥ですか?」
旧館の寮母室の片壁に寄せられる高い二台のロッカーから
厚手のB5ファイルを数冊抱えてドカッと
デスクへ置く私に
「あだっちゃんなぁ…分からんやろけど。二階、ドロドロやで。」
「ドロドロなんですかっ?」
「そうや。あんた、まだ知らんでもいい世界や。」
五十代の先輩はデスクの脇に積み重ねた措置台帳の
「寮母日誌」を、綴る手を止めて
それ以上は語ってくれない
当時、寮母室にパソコンはまだ設置されておらず
午後になると業務の合間をぬって
担当入居者さん達の日々の記録を直筆で書き記した
私など若手職員らは主に介護業務に明け暮れる
そして 四十代以上のベテランが
自立した入居者が住まう一般棟でメンタル面も含めた
生活援助へ携わるのだ
注1)養護老人ホームとは、介護の必要性に関係なく環境的、
経済的に在宅で生活することが困難な高齢者を対象として
いる。主な目的は「養護」であり、利用者本人が社会復帰を
する支援をする。
注2)特別養護老人ホーム(特養)とは、中〜重度の介護を必要とする
高齢者が対象の介護施設である。現在では、介護保険サービスに
よる施設で生活者は介護保険を利用して生活できる。
注3)養護老人ホームの入所基準は自立した高齢者であるが、入居者の
高齢化による施設の特養化が進み、当時でも市の特別養護老人ホームの
入所待機者状況は二百名を超えていた。人員体制は「養護」のままで
スタッフの人手不足が深刻化する。入居者一人一人の想いや自由な
暮らしを尊重したくても、それが「儚い理想」となってしまっていた。