のらねこ物語 其の二十五「如月の雪」
リリー

 「今日は 良いお日和でございますな。」
 店の者に挨拶して来たのは
 落ち着いた身なりの中年の男
 店の御主人にお目に掛かりたいと申し出る

 狭い客間へ通された男は
 手にする藍染の風呂敷包みを主人の前で開き
 小さな木箱を取り出したのだ
 「これを、ぜひとも近江屋さんに貰って頂きたいんでございます。」

 男が箱から両手で取り出したのは
 腹部の底に名入れされた 木彫りの金魚

 それは上見の美しい「金魚の王様」の異名を持つ蘭鋳
 背鰭のない 丸いずっしりとした体型に
 頭の肉瘤の隆起まで細やかに彫り込まれ迫力があった
 漆で塗られる素赤の金魚は両目をうすく閉じており
 今にも あぶくを一つ
 ウトウト夢から覚めるかの様であったのだ

 「ほおっ、これは!い、いや見事な、眠り金魚でございますなあ!」
 主人は目を見張リ驚いた 
 「あなた様が、あの左甚五郎様で!いえ、まったく存じませんで
  この様な部屋に!」
 と、深々頭を下げる主人は
 「で、如何程で…お譲りいただけますのでございましょうか?」
 
 「おや、先ほどまで、おてんとうさまが出ておりましたのに。
  おかしな天気になりましたなあ。」
 窓から庭を見る甚五郎
 「如月の雪でございますね。」
 庭に降り始めた雪を 吊られて眺め見る主人
 「それでは、これで。失礼いたします。」
 「えっ?」

 頭を下げ立ち上がった甚五郎を、茫然として見上げる主人へ
 自分は、近江屋さんの掛け軸の金魚が気に入ったのでございますよ
 それだけを言うと 笑って彼は部屋を出たのであった

 厨では昼食の準備にたらいで野菜を洗っている おゆう
 窓から裏庭覗いて
 「あら、晴れてたのにね、雪だわ。」
 かまどに火吹き竹で火を熾すおりんは その声だけ聞いて
 何も答えない

 薄く広がった雪雲にお天道様が隠れて 外は妙に肌寒かった
 新しく開く店の準備も整い 二ヶ月後には清吉も
 現在のお屋敷の住み込み部屋から異動して行くのであった

 
 
 


自由詩 のらねこ物語 其の二十五「如月の雪」 Copyright リリー 2024-02-23 00:34:16
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