のらねこ物語 其の十七「金魚の掛け軸」(二)
リリー
「変ね…窓閉まってるのに。」
おりんの金魚が死んだ その晩のこと
湯屋から店にかえった おりんは
小窓のわきに吊るしてある掛け軸が 畳に
二つ折りになっているのを掛け紐つかんで持ち上げた
「えっ、え…?」
おりんの目は穴のあくほど掛け軸の本紙を見詰める
「おきぬさんが、蒸かし芋出来たからって呼んでるわ。
あんた好きじゃない!」
一緒に湯屋から戻った おゆうの
梯子をかけ上がって来る はずんだ声
その言葉にも振り向かないおりん
「ちょっとお、ねっ、どしたの?」
「見て。…これ…。」
やっと振り返る おりんの掛け紐を手にする顔は青ざめていた
「はあ?…。えっ!ええッ!」
掛け軸の本紙へ目を凝らす おゆう
なんと そこには金魚鉢に赤い金魚がもう一匹
いるではないか
二匹は向かい合って描かれている
「たしか。…一匹、じゃ…なかった?」
「そおよね。そうだったよねぇ…。ね、ねぇえ、気のせいかも
しれないんだけど。ガラス鉢もさ、ちょっと大きくなってなぁい?
これ。」
「いやだっ!気持ちわるいッ!」
掛け軸をくるくるッ、
丸めて巻緒で周囲を巻いてギュウッ、と結ぶおりん
おゆうも恐る恐る
おりんの手に握られる掛け軸に目をやりながら言った
「衣装箱の底にしまっといたら。」
小さな衣装箱の着物の下へしまい込んだのだ。
注1) 湯屋=江戸での銭湯の呼び名。京や大阪では「風呂屋」と呼ばれた。
江戸は水道整備が整っておらず、近江屋にも内風呂は無かった。
銭湯が一般的で料金も格安だった。当時の湯屋は蒸し風呂で浴槽に
浸かることはなく、江戸時代の人は縁側や庭でお湯を使い洗髪した。
江戸時代後期には湯屋が六百件もあった。
注2)三畳一間の女中部屋に押入れは無い。
江戸時代、四畳半の長屋でも押入れは無く布団は畳んで部屋の隅に
置き衝立で隠していた。